学校の成績の優先順位は、「好き」よりも低くあるべきだと思う。 | 植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

ずーっと言われ続けてきたことがあります。

 

「学校の勉強もできないくせに、高望みするな!」

 

学校の先生や、大人にとっては、学校の勉強で良い成績を取るのが、人としての最低条件で、

それができない人間は、自分の夢など叶えられるはずもない。

ということを、本当になんどもなんども、いろんな先生や大人に言われてきました。

 

その原因は、僕の成績が悪かったからだと思いますが、

では、クラスで一番だとどうなのか?と思ったら、

彼らも似たようなことを言われていたようです。

「こんな田舎の小さな学校で成績がよくても、世の中には、もっと成績のよい人はいっぱいいる。だから、もっともっと頑張らなければいけない。」

 

学校の成績が悪いと、夢を見る自由さえない。

学校の成績がよくても、まだまだ不十分だ、と言われる。

とにかく、学校の勉強を頑張れ。趣味や好きなことは、学校の成績に悪影響を及ぼす。

というプレッシャーを、受け続けていました。

 

そんな僕を救ってくれたのは、伝記の人達です。

成績が悪かろうが、学校に行っていなかろうが、夢を叶えることはできる。

ということを、彼らが具体的に示してくれました。

だから僕は、プレッシャーに負けないですんだのだろうと思います。

 

いま、政府は景気が良いと言っていますが、それを感じてる人は少ないでしょう。

むしろ、先行きの不安を感じる人も多いと思います。

そういう時こそ、人は、「楽」や「安定」や「高い給料」にすがりがちです。

大人はそれを子ども達に押しつけます。

そのためには「よい成績」「よい学校」=「趣味は悪」という圧力が、強まってしまいます。

 

子ども達の感想文からも、それがひしひしと伝わってきます。

僕らが高校生の頃よりも、はるかに、大人からの「よい成績」「よい学校」「よい会社」の

プレッシャーは高まっているように感じます。

 

成績がよくない子や、お金が無い子は、進学が難しいから、「自分なんて・・・」になります。

成績がよくて、お金があっても、もっと良い学校に行く子もいるから、「自分なんて・・・」になります。

これで、自己肯定感が増えるはずもないです。

 

沢山お金をかけて、よい学校に行かないと、よい会社には入れない。

しかも、いくら良い学校にいっても、よい会社に入れるとは限らない。

そして、よい会社、というのが、本当によい会社とも限らない。

という、ものすごく不透明なことに、人生最大級のお金を使わなければいけない。

結局最後は「自己責任」と言われます。

こんなに、高価なのに結果が保障されないサービスって、ほかにあるかな?

 
進学するにせよ、進学しないにせよ、最後に物を言うのは、
「調べる」「考える」です。
そして、その原動力は「好き」です。
そして、「好き」は、共通話題だから、仲間が増えます。
仲間が増えたら、できることが増えます。力が増えます。
だからこそ、「好き」を大切に伸ばして欲しいと思います。
「学校の成績が悪いんだから、好きなことなんてやってる場合じゃないだろう!」に
負けないで欲しいです。
 
僕は、学校の勉強は、最低限しなければいけないことだから、最低限の労力で、
最低限必要なことをこなしておけばいいと考えました。(けっこう見積もりを間違えて、赤点をとっていましたが。)
そして、余った時間で、自分の好きなことを学びました。
その習慣が、いまも僕に学びを与えてくれています。
 
どうか、「好き」を奪われないでください。