形式にとらわれると、思いは伝わらない。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕は、大学時代に何本かの論文を書き、

機械学会で発表しました。

 

また、僕は特許を書くのが割と得意です。

特許の考え方は、問題解決の考え方ですから、

思考の際にも役にたちます。

 

で、どちらも、独特の書式があります。独特の文体があります。

それに慣れてしまうと、そういう文章を書くのは難しくないです。

 

でも、それを読んで理解するのは、それをよく知ってる人達だけです。

それらの記述方式が、「完璧」とは限らないです。

 

文章にはいろんなフォームがあります。

「拝啓」からはじまるのは、よく知られているかと思いますが、

それで、ラブレターを書く人は少ないと思います。

 

大事なことは、「だれに」「どんなことを」伝えるのか?です。

 

しかし、それを忘れてしまい、定型フォームにだけにこだわる人は少なくないです。

 

以前、航空宇宙の技術報告会がありました。

そこで、日本の宇宙開発をする人達は、論文のフォームそのものの発表を

淡々としていきます。

でも、興味がない人達は寝ています。

後半、外国の研究者が発表をはじめました。

彼らは、最初と最後こそ論文のフォームも使ってはいますが、

途中はまったく違います。

映像をふんだんに使い、笑いをとりながら説明をしています。

誰も寝ていません。

でも、日本人がそれをやったら、「もっとまじめにやりなさい」と

エライ人から怒られてしまうかもしれません。

 

僕は、小学校のPTA会長をやりました。

入学式などの時、来賓の方々が、季節の言葉と、来賓の方へのお礼からはじまるあいさつを

えんえんとし続けます。

子ども達は、ものすごくつらそうです。

僕も、子どもの頃には、そういうあいさつの時間が、ものすごくつらく感じました。

だから僕は、自分の時には、季節の言葉と、来賓の方へのお礼を省略しました。

だって、すでに沢山の人がしゃべってんだもん。

僕は、子ども達に思いを伝えました。

 

新入生には、これからいろんなことができるようになるよ。学校は失敗の乗り越え方を身につける場所だから、うまくいかなくても大丈夫。沢山失敗してね。と伝えます。

 

在校生には、新しく来た子達は、わからないことだらけだから。たとえば、トイレの場所もわからないかもしれないから。でも、困っていてもどうすれば良いかわからないかもしれないから、だから、みんなで、新しく来た1年生に、困っていないかい?大丈夫かい?って声をかけてあげてね。助けてあげてね。と伝えます。

 

保護者には、この子達は、これからいろんなことができるようになります。そして、どんどん大人になっていきます。だから、子ども扱いをしないでください。この子達を、頼って、任せて、感謝してあげてください。と伝えます。

 

そしたら、僕だけ子ども達から拍手してもらえました。

 

でも、後から、エライ人達から「礼儀がなっていない」「式典の意味がわかっていない」と

おしかりも受けました。

僕は大人です。だから、そのときは、「はあ、そうですか。すいません。以後気を付けます。」と言います。

もちろん、その後もちゃんと気を付けて、子ども達に思いを伝えました。

だって、子ども達に思いを伝えられるチャンスは、とても少ないのだから、

有効に使わないとね。

 

僕の会社には、沢山の子ども達が来ます。

その子達に、技術的な説明をしなければいけなくなることもあります。

そのときに、いかにして、平易な言葉で伝えるかが重要です。

そして、そのために重要なのは、如何に自分がその現象を理解しているか?です。

単語としてしか理解していなければ、その単語でしか伝えられないでしょう。

しかし、原理を理解していれば、違うたとえで伝える事ができるはずです。

その修練に、子ども達に話す、というのは、すごく有効です。

 

俗に言う、美しい文章や、きちんとした文章、は、とても大事です。

しかし、それが完璧とは限りません。

所詮は、文章とは、言葉とは、思いを伝えるための手段に過ぎないのです。

でも、それを理解せず、形式にとらわれる人達は、

「人からどう思われるか」「人からどう見られるか」という、

「他者評価」に自己存在をゆだねてしまっている人達かもしれません。

そういう人達は、本当の自信を持っていません。

だから、自分以下を作ろうとしてしまいます。

そのために、権威や肩書きにこだわり、縛られるようになります。

でも、いくら権威や肩書きを得たとしても、本当の自信は増えません。

これは、とても悲しいことです。

 

先日、ある集まりで講演をさせていただきました。

そのとき、講演後のあいさつとして、副会長さんがあいさつをしてくれました。

彼は手に紙を持っていました。

なんでも、前の日に頑張って書いたお礼のあいさつだそうです。

でも、彼は、「あの話を聞いてしまったから、こんなの読めない。アドリブで行きます。」
と宣言をして、自分の言葉であいさつをしてくださいました。
途中から彼は泣いていました。彼も、沢山つらい思いをしてきたのだそうです。
だから、もっと優しい社会を作りたいと、思っていたのだそうです。
でもそれを、だれにも言えなかったのだそうです。
会場にもすすり泣きが広がり、最後には、すごい拍手になりました。
きっと、新しい動きが生まれたはずです。
 
ま、ようするに、
一度しかない人生、かっこつけてる場合じゃないって。
人との出会いを大切にするためにも、
自分の思いを、最適な方法で伝える努力をしよう。
という話です。
 
でもね、「自分の思い」が無い場合には、どうしたらいいの?
というケースには、別な記事で・・・