さて、みなさんご存じの通り、あと10年で、仕事が半分なくなるかも・・・
と言われています。
なくなる職業のリストなんかも沢山ありますね。
最近、なくなる仕事のリストに、自分の成りたい職業を見つけて、
絶望する子ども達が増えてるそうです。
でもね、これって、いまにはじまったこっちゃないです。
僕の町は石炭を掘らなくなりました。
デジタルカメラが生まれたから、写真の現像屋さんがほとんど姿を消しました。
携帯電話のおかげで、固定電話を作る会社も激減しました。
LED電球のおかげで、白熱電球と蛍光灯の売り上げが激減しています。
もちろん、ブラウン管式のテレビを作っていた会社も大打撃です。
ほかにも、数えあげたらきりがないです。
一生続く仕事はありません。
どんな仕事も、生まれて、消えていきます。
それは、当たり前の事です。ずーっと繰り返されてきたのです。
しかし、そこに人がいる限り、仕事は必ず存在します。
だから、一生仕事はなくならないです。
まあ、今回たまたま、人工知能の発達と、ロボットの発達と、
最低賃金の上昇によって、いままでよりは急激に広範囲に、
単純作業が減る傾向はあります。
でも大丈夫。新しい仕事を生み出せばいいです。
しかし、この発想ができない人達がいます。
それは、「仕事とは、言うことをきいて、お金をもらうこと」と教えられた人達です。
こう思い込まされた人達は、雇用されて、命令されないと、仕事ができないと思い込んでいます。
だから、人の役にたちたいと思っても、「僕は何をすればいいんですか?言われたことをやりますよ。」としか言えません。
こういう人達は、大きな災害の時に、手袋も長靴も何も持たずに集まってしまうボランティアになります。とてもいい人達なんだけど、被災地では負担になってしまうことがあります。
こういう人達は、自分が仕事を生み出せる、という感覚に乏しいです。
少し昔に流行った、「指示待ち族」という状態です。
でも本当は、「仕事とは、人の役にたつこと」です。
自分の能力を使って、誰かを助けることが、きっと、本当の仕事なんじゃないかなと思います。
そんなこと言われても、自分にはなんの能力もないから、誰も助けられない・・・
と思い込んでる人も沢山いるのですが、これもまた、
「仕事は、言うことをきいて、お金をもらうことだ」の弊害です。
こう思い込んだ人達は、
「人の役にたつためには、相手が求める能力がないとダメだ」になってしまいます。
これこそが、「足りない自分」「できない自分」をダメだと思い込む原因です。
本当は、どんな人でも、誰かを助けることは可能です。
まずは、相手の行動をじっと見つめます。
つぎに、この後どうなるのかを予測します。
そのうえで、自分ならどうするなかを考えればいいです。
あとは、それを試して見ればいいだけです。
もちろん、読みが外れることもあります。
そのときは、また別な人を見つめてもいいのです。
たとえば、女性が、赤ちゃんを抱きながら、大きな荷物を引っ張っている。
このあと、階段あるよね・・・・。
どう考えても、この状態では階段を超えるのは大変そうだよね・・・
じゃあ、
自分の体力に自信があれば、「荷物を持つのを手伝いますよ。」と言えます。
自分の体力に自信が無ければ、先回りして、エレベーターの場所を見つけておくとか、
誰か他の人にサポートを頼むとか、いろいろできます。
もちろん、「大丈夫、間に合っています」と言われる可能性もあります。
そのときは、「ああ、そうですか。」でいいです。
僕なら、もしも階段を踏み外したときのために、階段の下の方で見守ります。
このときに必要なのは、相手の命令でも無く、相手の求める能力でもないです。
必要なのは「おもいやり」と「やさしさ」です。
と、僕は思っています。そうやって、新しい仕事も作ってきました。