僕は会社を経営しています。
で、僕は、小学生の頃から、溶接やガス切断をさせられていました。
高校生の時には、旋盤も使っていました。
だから、大学で技術の実習の時間では、初日に先生に、「お前はいいわ。やってたんだろ。教えるのを手伝ってくれ。」と言われました。
僕は、名古屋に就職し、そこで、UNIXのワークステーションを使って、3次元のCGを作ることになりました。
教えてくれる人は、ほとんどいませんでした。
また、CATIAを習いました・・・というか、させられました。
みんな、他の仕事をしながらの時間で教えてくれますが、
どちらかというと、自分でいろいろやって、失敗して、怒られて、先輩がサポートしてくれて・・・を繰り返して上達した気がします。
北海道に帰って、自動車電装品修理業を習いました。
油圧ホースの修理もおぼえました。
教えてくれるのは、教える能力皆無の僕の父さんです。
それはもう、本当につらかったので、しょうがないから、
自分でひたすら記録を残して学んでいきました。
自動車電装品修理の仕事がどんどん無くなっていく中、
僕はリサイクル用のマグネットの開発をはじめます。
電気磁気学という本を買ってきましたが、ちんぷんかんぷんでした。
それでも、やるしかないので、やりました。
いずれも、最初からうまく出来ていません。
そりゃそうだ。
で、どのレベルになったら一人前、という基準もありません。
ていうか、そんな悠長なことなど言ってられませんでした。
経験して、失敗して学んでいったと思います。
だから僕は、いま生まれてはじめて会社を経営しながら、
どんどん増えていく新人の教育について常に思うのは、
「自分が最初にやったときは、どんな感じだったかな。どんなことができたかな。」です。
今僕は、様々な経験を詰んできたからこそ、「自分ならこうするな・・・」のレベルが上がってる気がします。
それを、新人の子に求めるのは、それは酷な話です。
で、僕は、今日もやったことがないことをやるから、今日も経験値が増えてきます。これでは、永久に新人が追いつけません。
人口減少社会において、それをやってしまったら、
社会は衰退しかしないです。
だから、いかにして、自分がしてきた経験を、より濃縮して、短期間で経験してもらうのか?がとても重要になると考えています。
それは、経験を積んできたものの責務だと思います。
名古屋で仕事をしてるときに、上司に言われた、
「お前達は好きにやれ。もしも失敗しても、そのときは俺が頭を下げたら何とかなる。心配するな。」という言葉を、いつも考えています。