ぼくの歪んだ90年代よ~ジョー・マカリンデンに捧ぐ | AFTER THE GOLD RUSH

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とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

$AFTER THE GOLD RUSH-Joe Mcalinden/Bleached Highlights1980年代と90年代の間には、「深くて暗い川」が流れている。その川が何かは自分でもよく分からないが、確かに“流れているのだ”としかいいようがない。川は、ぼくの心象風景を形成する音楽を、思想を、もっと大げさにいえば人生観をも分断している。

1990年秋、25歳になったばかりのぼくは、休日になると、当時住んでいた京都嵯峨野にある広沢池を眺めながら、半ば無為に時を過ごしていた。ある日、池のほとりに、20台ほどのスクーターの集団がやってきた。大小様々なライトとミラーでデコレーションしたベスパに乗った彼らは、まるで“数年前の自分”のような恰好をしていた。例えば、ポークパイハット、例えば、フレッドペリーやジョンスメドレーのポロシャツ、例えば、千鳥格子柄のスリムなパンツ。ぼくは、その集団に近づき、少しだけ言葉を交わした。GL150のコンディションや関西モダーンズの動向について2、3言。程なくして、彼らは走り去っていった。その颯爽とした後ろ姿を見送りながら、ぼくは、初めて、自分が歳をとったことを実感した。彼らは、確かに“数年前の自分”のように見えるが、今の自分とは全く違う。もう、自分は、ヴィンテージのベスパに憧れることも、ロンズデールのトレーナーを着ることも、ましてや、音楽で飯を食っていこうなどという甘い夢を抱くこともないであろう――。

我ながら幼稚でくだらないと思うが、当時のぼくは、ポール・ウェラーが「In The City」で、激しく、そして力強く宣言した「25歳未満の者だけが 街で光輝く権利を持つ」というテーゼに囚われていた。つまり、25歳になった自分は、もはや若者ではない、と諦念し、まるで余生を生きる隠居のように後ずさりしながら未来に向かっていた。――(以降、本論と直接関係無いため400字程削除)――80年代と90年代を分断する川は、こうして流れ始めた。

AFTER THE GOLD RUSH-The Groovy Little Numbers/happy like yesterdayさて、何故、このようなつまらぬことをだらだらと書いているのか。そろそろ本題に入らねばならぬ。それは、年の瀬に友人から受け取った1通のメールが、この川の存在を今一度ぼくに意識させたからだ。メールには、ジョー・マカリンデンが昨年発表した新譜のことが書かれていた。ジョー・マカリンデン! グラスゴー出身で、ぼくより少しだけ年下のこのミュージシャンの名前は、記憶の奥底に仕舞い込み、無意識のうちに“無かったこと”にしていたある種の感情、ある種の音楽をぼくの中に呼び覚ました。そして、それらが、紛れもなく、この “川”の本流を形成しているような気がしてきたのだ。

90年代初頭、同世代、もしくは、より若いミュージシャン達が、(ぼくにとって)魅力的な音楽を次々と発表し、商業的にも成功を収めはじめていた。アメリカでは、ニルヴァーナ、ダイナソーJr.、ヴェルヴェット・クラッシュ、イギリスでは、プライマル・スクリーム、ティーンエイジ・ファンクラブ、BMXバンディッツ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、等々。しかし、ぼくは、これらのバンドの盲目的なファンであったわけではない。むしろ屈折したジェラシーのようなものを常に感じていた。「彼らは、まるでかつての自分のようだが、今の自分とは全く違う」。身の程しらずにもそう感じていた。そして、その神経症的で妄想にも似たネガティブな感情が、先のポール・ウェラーのマニフェストを源流とする“川”の大きな流れとなり、ぼくの音楽観を歪め、引き裂いた。つまり、川は、自分自身のあまりにも早すぎる精神の老化と「若さへの嫉妬」が作り出した幻影だったのであろう。

$AFTER THE GOLD RUSH-Joe Mcalinden&Superstar思えば、ジョー・マカリンデンは、グラスゴー勢及びアラン・マッギー率いるクリエイション・レコードの面々が一世を風靡したあの時代においても、そして現在に至るも、一貫してポップスターとしての華やかな成功とは縁遠かった。80年代末、グルーヴィー・リトル・ナンバーズ名義で、ソーダ水の弾けるが如く瑞々しく胸躍るポップチューン「Happy Like Yesterday」をものにし、90年代には、BMXバンディッツのメンバーとして、ダグラス、ノーマンらと畢生の名曲「Serious Drugs」を共作し、ヴォーカルを担当、さらに、自らのバンド、スーパースターにおいても「Let's Get Lost」「Every Day I Fall Apart」等の名曲を発表し続けたにもかかわらず、である。

運も実力のうちと言ってしまえばそれまでだが、ジョーの卓越した作曲能力――、それは、ポール・マッカートニーやトッド・ラングレン、さらにはバート・バカラックをも想起させる、を思うと、その不運は、音楽界全体の不幸ではなかったのか、とやや大袈裟に嘆きたくもなる。ぼくは、そんなジョーが不憫でしょうがない。そうなのだ、90年代、彼だけは、ぼくの歪んだジェラシーの対象ではなく、純粋にファンとして接することのできた数少ないアーティストだった。(しかし、その要因が、彼の素晴らしい音楽への共感のみならず、その不憫さへの同情もあったとするなら、僕は自らの驕り高ぶりを徹底的に自己批判しなければならない。)

ジョーの新作は、昨夏、エドウィン・コリンズの新レーベルAED RecordsからLinden名義で発表された。そのアルバム「Bleached Highlights」は、躍動感に満ち、水彩画のように透明で、少しだけほろ苦い、そんな美しいメロディーと艶のある歌声でいっぱいだ。ここには、以前より贅肉をそぎ落とし、やや筋肉質になったジョーがいる。そして、この心地よい音楽に身を委ね、目を閉じれば、青空をバックにジャンプする2匹のイルカが見える。ブラウンバードが歌う――Back to Glasgow. Back to 90's. ぼくは川の源流に戻って、あのモッズ少年達と再会しよう。

Linden - Brown Bird Singing