若松孝二死す | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

AFTER THE GOLD RUSH-若松孝二 若松孝二監督が死んだ。そのことをつい先程知った。最初は、何か悪いジョークだろうと思った。先週、釜山国際映画祭から元気に帰国したと聞いていたし、何より、あの殺されても死にそうにない若松監督が、車に撥ねられてあっさりと逝ってしまうなんて全く信じられなかった。今もまだ信じられない。忙しさにかまけて、ネットやテレビはおろか、新聞すら目を通そうとしなかった自分自身の怠慢を呪う。

 

若松監督は、ぼくにとって、一つの富士山であり、また、偉大なる父でもあった。大学時代に「処女ゲバゲバ」と「犯された白衣」を初めて観た時の衝撃は今でも忘れられない。「これは一体何なのだ?」という得体の知れない畸形ないきものに遭遇した時に感じるような原初的な恐怖。同時に強力な磁場の如く惹きつけられるこの上なく甘美な魅力。それらを超える感情を呼び起こしたのは、ぼくの貧しい映画体験においては、デビッド・リンチの「イレイザーヘッド」くらいしかない。

 

80年代後半、バンドで自主製作したカセットテープに「天使の恍惚」の金曜日のモノローグ「行かなければならない! 最前線へ!」を逆回転で収録したこと、90年代前半に池袋の文芸坐もしくはBOX東中野で観た「現代性犯罪絶叫編 理由なき暴行」と「性賊」にヴェルヴェット・アンダーグラウンドやジャックスを初めて聴いた時と同質の感動とショックを受けたこと、そして、忘れてはならない、ピーター・トッシュ、山下洋輔、陳信輝らの優れて魅力的な音楽は、すべて若松映画を通して知ることになったのだ。

 

一方で駄目な映画も多かった。本人は気に入っていたようだが「われに撃つ用意あり」などは、遠藤ミチロウではないが“吐き気がするほどロマンチック”でどうにも好きになれなかった。ベルリン国際映画祭で寺島しのぶが最優秀女優賞を受賞した「キャタピラー」も個人的にはあまり感心できる作品ではなかった。いわゆる“器用な映画監督”ではなかったように思う。しかし、出来・不出来にかなりムラがあるところも含め、若松映画が総体として凄まじい情熱と魅力を放射していることは疑う余地のないところだ。であるがこそ、若松監督は、ぼくにとって、一つの富士山であり続けているのだ。

 

今頃、空のずっと上の方で、盟友平岡正明、赤塚不二夫、大和屋竺、そしてパレスチナのコマンドらと肩を叩き合い、酒を酌み交わしているのではないだろうか。そうであってほしい。安らかに眠れ、永遠の闘士よ。合掌。