フォークゲリラを知ってるかい? その1 | AFTER THE GOLD RUSH

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とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

1967年1月べ平連集会 大晦日にNHKで放送された「あの人からのメッセージ2007」は大変興味深い番組だった。昨年亡くなった著名人を生前のインタビューや文章で振り返るという企画で、阿久悠、城山三郎、小田実、山口小夜子、植木等などの故人が紹介されていた。特に印象に残ったのは、城山三郎と小田実の両氏。ぼくは、この二人に接点があったことを全く知らなかったので、べ平連(ベトナムに平和 を!市民連合)の集会で、ジョーンバエズと共にフォークソングを歌う両氏の写真には本当に驚いた。

 

そして、二人の思想の意外な共通点にも驚かされた。熱狂的な軍国少年として育ち、自ら志願して軍隊に入った城山氏は、そこで理不尽な暴力や差別に直面し、さらに、戦後、何の反省も無いまま要領良く転向していく「元軍国主義者」たちの姿を目の当たりにし、激しい憎悪を覚えたという。「私の中心にあるのは、少年の日の戦争体験。私は帰ってきたが、同年代で特攻隊に行った者もいるし、終戦で首を括った者もいる。そういう連中のことがいつまでたっても忘れられない。それは、軍隊だけが悪いのではなく、教育も新聞も、そういうのが全部責任があるわけで、大合唱したということ。大合唱の怖さというものが身にしみている」と語る城山氏は、生前次のような詩(「旗」)を残した。

 

 旗振るな
 旗振らすな
 旗伏せよ
 旗たため

 

 社旗も 校旗も
 国々の旗も
 国策なる旗も
 運動という名の旗も

 

 ひとみなひとり
 ひとりには
 ひとつの命
 
反戦・反安保6.15統一集会 ぼくは、この詩をきいて、反射的に小田実氏のあるアジ演説を思い出した。それは、「怒りをうたえ」という映画の中で、反戦・反安保6.15統一集会のワンシーンとして映し出されていたものだった。

 

「ここには様々な旗があります。いろいろな形の旗がある。こういうことはかつてなかったと思う。昔は統一された旗が好きだった。でも私たちはそういうのはもうやめた。」

 

時は1969年。日比谷野外音楽堂に集まった様々なセクトの旗とヘルメットを見ながら、小田氏は凄まじい早口で演説を続ける。

 

「例えばここに花がある。花を投げるのが好きな人は投げればいい。そしてまたそれに飽き足らない人は自分たちのそれぞれの権利に基づいて行動してください。自分で工夫して、自分で考えて、そして他人を批評する暇があったら、もっと激しい敵に向かってその批評を投げつけてください。」

 

映画ではここで割れんばかりの大きな拍手と歓声が沸き起こる。城山氏は、先の詩で「運動という名の旗」も否定しているから、小田氏の思想とは微妙に食い違うのかもしれない。しかし、小田氏の言わんとすることを「一人一人が自分自身の旗を持ち、自分らしい闘い方をすべきだ」と解釈するなら、“反組織”もしくは“反権威”という点で共通するものがあるのではないか。べ平連は、「ベトナムに平和を!」「ベトナムはベトナム人の手に!」「日本政府は戦争に協力するな!」という三つのスローガンに賛同する人なら誰でも参加できた。だからこそ、「既成の政治団体に組織されたくない・されていない“ただの市民”を幅広く結集させた」(吉沢南「ベトナム戦争」より)のだ。つまり、労組や政党といった組織に属さない人たちが、べ平連という「組織ではなく、開かれた運動体」で反戦を訴えていこうとしたのである。

 

そこから誕生したのが、あのフォークゲリラだったわけだが、この稿、だらだらと長くなりそうなので、今回はこの辺で。

フォークゲリラを知ってるかい? その2