前にも書いたが
2022年と2023年の記事を
丸々2年分 間違って消してしまった

大切な2年間だったので
自分の大切な備忘録として
もう一度
今の私からの視点で
大切なことだけ
もう一度書こうと思う


お付き合いくださる方のみ
読んでくださったら
うれしいです




2022年は
私にとって大きな出来事が
ざっくりいうと2つあった

1つは長男のこと
もう1つは母親との別れだ




長男のこと


2018年1月 浪人2年目
願書をどこに出すか
それが大変だった

長男は北大獣医を中学の時から目指していて
高2からは
トイレもスマホでリスニング
お風呂もスマホでリスニング
勉強してない時は食事の時と寝てる時だけだった

北大獣医と言えば
東大に入るのとどっちが難しいか
と言われてるところなので
二浪は覚悟していた
もちろんそれでも無理かもしれない

現役で失敗
それから札幌で浪人
一浪目
センターで苦手な国語で失敗はしたが
駿台の先生方は長男はみんな受かると思っていた
なんせ北大模試はずっとA判定だったから

そして二浪目
どうしても国語が上がらない
そしてセンターでまたしても国語で失敗
なんと一浪目よりやらかしてる
これだけ国語を強化してもあがらないってことは
もうこれ以上は無理だと私は思った

前期試験
挑戦はもう2回したでしょ
私は長男にそう言って納得させて
帯広畜産大学に願書提出
後期試験
当然鹿大だろうと
願書関係は勉強の時間を削らせないために
全部私がしていたので
鹿大だよね〜くらいで
あまり確認もせず鹿大に出した

ところが本人は
本当は一か八かで
なんと後期試験を北大に出したかったらしい

前期より上のところに後期だすなんて有り得ない
それでもそうしたかったみたいなのだ

前期試験の2週間前
忘れもしない
長男から電話があった
泣いている

あんた、どこからかけてんの?!

北大

北大獣医まで地下鉄二駅分
雪道だ
そこにわざわざ雪道の中歩いて行って
泣きながら電話をかけてきたのだ

この季節
インフルにかからないように
どこのドアも手では絶対さわらない
滑って転倒して右手を折ったりしないよう
いつ何時も慎重に歩く
なのにこんな時期に北大獣医まで歩くか?

未練だったんだろう
なんせ北大模試はずっとA判定だっただけに

長男が泣くなんて
実はそれまで見たことがない

なんで後期 鹿大に出したん

...,.。

私が諦めさせた
私が諦めさせたんだ

この精神状態では
畜大すら受からない

翌日 駿台の担任に
その思いを伝えるよう伝えた

担任から

とりあえず畜大を合格して
入学して休学をする
そして隠れ浪人をして
1年後に北大を受ける
落ちたら畜大に戻る
受かったら北大に行く

そんな提案をしてくれ
とりあえず本人のやる気が戻った

畜大合格

あんたどうするか
2日あるから考えなさい

翌朝 電話が来た
明るい声だ
なにもかも吹っ切れた声だった

おれ、畜大行くわ

結局
畜大に通い
本人もそれなりに楽しみながら
勉強も手を抜かず
部活も軽音とアイスホッケーに属し
いい大学生活を送れていた


北大獣医と畜大獣医は
共同獣医学部だ
なので5回生と6回生の研究室は
どちらでも選べる
とは言っても
北大の研究室に入るには
やはりそれなりに勉強してないと
学力によるので入れない

それが研究室は北大に入れた
頑張ってたんだろう
畜大生としてだが
長年あこがれ目指していた
あの北大獣医に通えることになったのだ

電話で伝えてきた
本人は特にはしゃぐこともなく
こっちが拍子抜けするくらい
淡々としていたが

私は4年前のあの電話...
私が諦めさせたんだ

その思いにずっと縛られていたから
あの泣きながらしてきた電話のあの声に
ずっと縛られていたから
もうその知らせを聞いた時には
涙が止まらなかった

現役の時から
何度北大の雪道
獣医学部まで歩いたことだろう

本人よりも
私の方がうれしかったんじゃないかと思う
本人はいたって軽い
あっさりしたもんだ

親ってなんにもできない
してやれない
それでも
しっかりした子に育ってくれた

意志のとてもつよい
自慢の息子だ







北大獣医学部






今は札幌と帯広を
行ったり来たりらしい

2月は国家試験だ
だから今回のお正月の帰省はなし

もう少しで
長かった学生生活の終わりだ

国家試験が受かれば
内定している所(動物病院)に就職だ

ホントによく頑張ったと思う
アホだけど
ホントにアホだけど

私の自慢の息子だ











お客さまへ

しんどい時は急でも構いません。

その時がしんどくてたまらないんだもんね。

夜でも空いてればお話聞きますよ〜。

ストレス、即はずそう!