さて、これまでいろいろと、長男の小学校の就学準備を記してきたのだが、ここにきて書くのに飽きたわけではなく、書くことに迷いが生じてきた。

当ブログでは、住んでいる自治体のこともよく書いている。

それは意図的なことであり、なぜなら、【地方自治は民主主義の学校】という言葉を中学か高校で習ったが、私たちが生活する上で、国政がどうこうするより(今国政って何やってんの、裏金ばっかり…)、地方自治体である都道府県や市町村がどのような社会福祉政策をするかどうかの方が、私たちの生活に大きな影響を与えていて、障害児福祉という分野も、市町村レベルでどのような方針かということが重要だと考える。

だからこそ、参議院議員選挙などより市議会議員選挙の方が自分の生活に直結するから選挙に行くべき…いや、国政選挙ももちろん行きましょう、地方議会もね。

そのため、より有益な情報をこのブログから得てもらうためには、どこの自治体の話か、というよりはむしろ、〇〇市の障害児福祉と検索でひっかかってもらうことが目的である。


誰かの知識の片鱗になりたいと、私が感じたことはなるべく仔細を書いてきたが、ここで長男の利益とのジレンマを感じるようになった。

私は友達がいないので、おそらく夫と親兄弟以外には身バレしないだろうとタカを括っているのだが、長男については、別の人生と人格を持つ人間である。

身バレはさておき、自分のことを自分の知らぬ存ぜぬところで勝手に全世界に公開されるのは不本意であろう。

彼の自己決定は難しい、まず、そもそも6歳児にネットリテラシー云々の理解が困難であろうし、彼の理解力は未知だが、彼の表現力は私にわかるように全てを理解させるに至らない、いや、それは私が至らない点もある。

彼の自己決定を私が汲み取れきれない以上、彼について〈誰かの役に立つ〉以上、私のつまらない自己顕示欲のために書くわけにはいかない。

そのような都合で、長男の小学校就学についての内容は、ここで切り上げることとする。


最後に、この障害児育児のターニングポイントとなった今回の就学準備について、私の感じたことを総括して終結する。

まず就学にあたって、保育所の先生、児童発達支援の先生、児童精神科の先生、保育相談の心理士などに相談、市教育委員会に連絡・相談、支援学校と地域の学校(支援学級)の見学・相談、民間の就学学習会に参加などを重ねた。

その結果、さまざまな情報を得たが、正直、バラバラのピース、それが合うか合わないかしっくりしないのに繋ぎ合わせて地図を描いたようなものだった。

つまり、この地図が正確かどうかわからないのに、この不確実な地図をもとに長男に旅させるためにドアの外に放り出すようなものだと、私は感じた。

だからこそ、この地図が本当にあっているかどうか、要はケース会議のような、専門家が意見を擦り合わせて検討してほしかったのだが、それは叶わなかった、それは、私たちの自己決定が尊重されているといえば、聞こえは良い。

とはいえ、これは長男のような障害児だけでなく、〈今は〉定型発達とされている子どもにも、適切な(公立私立なども含め)学校選択がさまざまな側面から検討された方が、その子の将来に役に立つかもしれない、しかし実際には、よほどの教育に対する熱心さがなければ、受動的に地域の学校に就学する。

と考えれば、学校について、正しいかはさておきいろいろな材料を集める機会がある分、恵まれていると解釈もできる。

そして、子どもの成長とはさまざまな要因、本人の資質以外にも、環境と呼ばれる本人の身の回りの目に見えるもの見えないもの…詳しくはスーザン・ケンプ氏に聞いていただきたいが(社会福祉の偉人に丸投げするな)、そのようなものに囲まれ、何がどう本人の人生に作用するかは、蝶の羽ばたきが嵐を起こすように未知数だ。

だからこそ、この選択が間違っていないとか、失敗できないとか、取り返しのつかないなどとは考えない。

今できることをする、間違っていたらやり直す、そうして今ある地図でより良いところを目指す、それしかできないのだ。