前回のあらすじ。


年長の自閉症長男の就学について、いろいろ話を聞きながら支援学校か支援学級か検討中。


周囲の人に話を聞いたり、自分で(ネットで)調べたりしているにも関わらず、夫と長男の進路について話をしたことがない。



あらかじめ申し上げておくと、夫と仲が悪いとか、会話が無いとか、別居中とか、そのような理由で話をしていない訳では無い、本当である、信じてください刑事さん。


ただ、夫が長男についてどう思っているかが、良くわからない、長男とは同居している、もちろん。


長男が自閉症であることは理解しているはずだが、自閉症が何なのか理解しているか、理解できない。


いや、偉そうに言っているが、私だって自閉症をどこまで理解できているかと聞かれたら、説明はとても難しい、とりあえずカナーって嫌よねとか、自閉って割に、ちっとも閉じてないよね、世界の方がよっぽど閉じてるよね、私は閉じてるけど、とか、うーん、難し。


とはいえ、つくづく思うのだが、身体障害は、ある部分の機能の欠損と説目すれば容易い。


だが、自閉症とはなんだろう、知的な機能はもちろん欠損しているといえばしているが、それは、ミルクボーイのコーンフレーク漫才のフレーズを拝借すると、コーンフレークの栄養バランスの五角形がむちゃくちゃデカいあれは、自分の得意な項目で勝負しているのと同じように、定型発達者の得意な項目で発達ナントカのテストが作られているとしたら、そりゃ五角形が小さくなって、「発達が遅れてますね、欠損してますね」と言われても、それが真の自閉症者の能力を測れていると言えるのか、その五角形に含まれない項目に、自閉症者のストレングスがあったとしたら、それは誰が、どう汲み取ってくれるのか。


つまり長男のおかんが言いたいのは、自閉症者の障害は何らかの欠損ではないのでは、ということだ。


この話をするととんでもなく長くなりそうなので、ここで切り上げ、夫の話に戻る。



夫は、長男が普通でないことは理解している、しかし将来に渡って普通でないと考えているのか、いつか成長に伴い普通になると思っているか、あるいは、普通でなくても普通の子どもたちや大人たちに混ざって生活していけるレベルだと思っているか、このあたりがわからないし、話をしたことがない。


この話に口を噤んでしまった、決定的な出来事があった、先の大阪府知事選挙である。


私と夫は、投票のため、子どもたちと連れ立って、投票会場である学区の小学校に行った。


小学校に着いた時、夫が長男に声をかけた。


「(長男)が行く小学校やで」と。


私は息を呑んだ、夫は楽観的な人間だとは思っていたし、それが彼の強みであるとは思っていたが、もしかすると彼は、(普通学級に行くと考えていて)長男に対してあまりにも楽観視し過ぎているのではないか。


私は夫をあまり傷つけたくないと思っていて、ありありと現実を彼に突きつけたく無かった。


だから、自閉症のことを説明することもしてこなかった、夫が知らなくても、私が調べて長男について活用できそうなサポートがあれば、「こういうのあるから、こういうの受けたいから、名前書いて」と、揺るぎないトップダウン、あるいは強烈なボトムアップシステムで成り立ってきた。


しかし、さすがに小学校のことになると、私がどれだけ正しさに自信があったとしても、私の一存で決めるわけにはいかない。


意を決して、夫に話しかけた。


長男の就学先について、支援学校も視野に入れて考えていて、後日見学にいくつもりだが、あなたはどう考えているか、と。


私の話を聞いた夫の表情は、面食らったものではなかったが、当然に同意するようなものでもなかった、あれは、どのような気持ちからだったのか、私にはわからなかった。


まあ、人の表情で人の気持ちを読み取る能力があれば、三十余年、友だちのいない人生を送っていない。


夫は神妙な面持ちのままであったが、支援学校の見学には一緒に行くことになった。



その後、初めて夫の考えを聞くことができた。


さすがの夫も、普通学級に行けるとは考えていなかった、具体的には、45分間黙って席に着いていることは無理だと思っていた。


とはいえ、支援学校がどのような場所かわからない、Eテレのストレッチマンを見ていると、長男に支援学校が合っているのか良くわからない、という思いだったらしい。


夫も、割と現実的に考えていてくれたようで、ほっとした。



続きは次回。