『果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語ー59ー』にゃんく | 『にゃんころがり新聞』

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー59ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

  時間は三時過ぎの筈でした。ラチの街まであとひとふんばりというところで、ミミ、リュシエルはひと休みしていました。
 東の空に黒い雲が広がっていました。雷を帯びた光の明滅が見え隠れしています。
「雲行きが怪しくなってきたな。急いだ方がいいかもしれないな」
 リュシエルが云いました。

 

 メメはミミたちから五十メートルほど離れたところで、きれいな色の蝶々を追いかけて遊んでいました。石に背中を凭せかけていたジョーニーがこっそり云いました。「メメ、今がチャンスだぜ。蝶々を追いかけるふりをして、このまま遠くまで逃げちゃおうぜ。ふたりで幸せな家庭を築こうよ」
 メメはぴたりと動きを止め、うんざりしたようにジョーニーを見やりました。「なんだか、ちょっとしつこすぎるわ。もうそれ次云ったら、あなたを連れて歩くのやめるからね」
 ぴしゃりと云うと、メメはジョーニーをそのままにして、ひとりで蝶々を追いかけて離れて行きます。
「おい、待ってよ。何処行くんだよう! 逃げるんなら、おいらも一緒に連れてってくれよう」
 メメは振り返る素振りも見せず、捲れ上がったレースのついたスカートの中のパンツを丸見えにしながら遠ざかって行きます。
 その時、喇叭と太鼓の奇妙な乱打の音が聞こえてきました。蝶々に夢中だったメメもギクリとして立ち止まり、音のする方を振り返りました。
「なんだろう? この不愉快な音は?」とジョーニーは訝しげに呟きました。

 

「これはこれは殿下。こんなところでお会い出来るとは望外の歓びですぞ。歓び過ぎて、鼻血が出そうなくらいだ」と代理官殿は馬に跨ったまま云いました。リュシエルは不審そうに楕円の体型の男を眺めました。その男は胸に見覚えのある王家の紋章や勲章などをジャラジャラつけています。
「誰だ?」リュシエルが訊ねますと、楕円の男は胸を反らし、「北方総督府総督代理官の職に就いておる者です。以後お見知りおきを。私のことは、代理官殿とお呼び下さい」
「代理官? 以前に代理官をしていた者とは違うようだが」とリュシエルが云うと、「あまりに無能だったから、わしがその者の代わりに代理官になったのです。殿下が行方不明になっている間に。いけなかったですかね?」
 と代理官殿は云って、プヒヒと笑いました。
 リュシエルは、ミミが自分の手を探し求めていることに気付いて、ミミと手を繋ぎました。ミミがリュシエルの手を強く握り返してきました。
「ところで、その代理官殿が、ぼくに何か用でも?」
 リュシエルがそう訊ねると、代理官殿は、ジョーの方を顎でしゃくり、「このジョーという男が、殿下に似た人間を目撃したというので、急ぎ馳せ参じたのです。ですから、もうご安心下さい。我々が、殿下をお守りして総督府までお連れしますから」
 リュシエルはジョーと呼ばれた男のことを忘れていましたが、しばらくして思い出しました。「彼は、むかし都で兵隊をしていたという……」
「ジョーですだ。やっぱり、あなたは王子様だった」ジョーが嬉しそうな声をあげました。「そこの女の方は、オラの怪我を治してくださった。あなたがたは、オラの命の恩人ですだ」
 その声を聴くと、ミミも思い出したらしく、微笑みを口元に浮かべました。
「わしが今喋っておるのだから、お前は黙っていなさい」代理官殿は不機嫌そうに低い声でジョーに云いました。「さあ殿下、総督府に参りましょうか」
 雨がぽつりぽつりと降ってきました。
「何故総督府に行かなければならないんだ?」
 頭に血が巡るのはかなり時間がかかると云わんばかりに代理官殿はしばしの沈黙の後、口を開きました。
「それは殿下が弱っているからです。弱っている者は、我々の手で保護しなければなりません。そのあと被保護者が回復せずに、死んでしまったとしても、それは我々の責任ではありません」
「?」
「とにかく、総督府までお越しください」
「ぼくたちは子供じゃない。保護なんて、必要ない。ぼくたちはこれから都に向かうのだ。この子の目の治療をするためにね。君の手助けは必要ない。悪いが、総督府には行けないよ」
 代理官殿はリュシエルの言葉を聞くと、がらりと声音を変えて、脅すように云いました。
「殿下。あなたは、昔は殿下であったかもしれんが、今はただの落ち目の逃亡者に過ぎません。そのような抗弁が出来るご身分でもありません。それとも、何か来られない理由でもおありなのかな?」
 何がおかしいのか、ヒヒヒと黒の参謀が声に出して笑いました。
 リュシエルは、代理官殿の異様な風体、無礼な言動に危険なものを感じ、ミミを立ち上がらせ、「ぼくが何処に行こうと、ぼくの勝手だ。かまわないでもらいたい」と云って、立ち去ろうとしましたけれど、「時に」という代理官殿の声が後ろから聞こえて来ました。
「カルマ村で、男をひとり、刺し殺されましたな、殿下?」
 リュシエルは立ち止まり、代理官殿を振り返りました。太りすぎて首が消滅した代理官殿はその軀体を大きくさせたり小さくさせたりしながら、「フーフーフー」とリュシエルまで聞こえてくるほど荒い息をしています。
「何故、お殺しなされたのです? 罪もない人間を」
 リュシエルは動揺して云いました。「し、死んだって? 殺すつもりは、なかったんだ」
「村人たちの証言によると、殿下、あなたたちは、金も持っていなかったのに、彼らの家に宿泊し、飲み食いをされた。その後、男に金を持っていないことを追及されると、あなたは激高し、男を刺し殺して、村から逃げたのだ」
「それは違う! ミミがあの男に襲われたから、守ろうとして、止むを得ずに起こった事故なのだ。嘘ではない」
「目撃者もおりますぞ。殿下、そのような言い逃れは通用しますかな? 御存知のように、人殺しの罪は、とても重いのです。どう責任を取るつもりですかな?」
「……」
「まさか、王子だから、見逃してくれと仰るのではありますまいな?」
 リュシエルが項垂れていると、代理官殿は左右の参謀に命じました。「この男を処刑せい。この者はもはや王子などではない。ただの凶悪な人殺しだ」
 白の参謀が愕いて声を上げました。「お待ちください、代理官殿。聞き込みをした内容と、殿下の言い分が食い違っております。もうすこし、調査をした方がよろしいと思われます。それに、百歩譲って、殿下が完全に悪かったとしましても、我々ごときが殿下を処刑するなどとは……逆立ちしたって出来ることでは御座いますまい」
 白の参謀の意見は、代理官殿の怒りのツボを刺激したらしく、代理官殿は激昂しはじめました。代理官殿の顔は熾った炭のように真っ赤になり、フンフーンと鼻からは白い蒸気が吹き出されています。
「貴様が意見を云う必要はない」
 代理官殿の卵型の体型は、ボールよりも真ん丸く、ますます完璧な円形に近付いて膨れ上がっています。
「悪い王子を処刑することに、何のためらいが要るのだ!」
 尋常でない代理官殿の様子を見た黒の参謀が、くねくねと身体を捩らせながら、頭の栓が飛んでいったみたいな高い声で取りなしました。
「大丈夫です、代理官殿。我々が王子を私刑に致しましても、庶民どもは拍手喝采して代理官殿の行いを褒めそやすことでしょう。他の誰にも出来ぬ行いを、代理官殿が遂行するのです。まさに英雄であります。史上まれに見る、英雄的行為です!」
 その言葉を聴いて、代理官殿は気持ちを落ち着かせたらしく、鼻から出ていた白い煙の量が半分に減り、やがて円形の身体が楕円形に戻りました。
 代理官殿が膨らんだりしているのを見て、リュシエルはミミの手を引いて駈け出しました。代理官殿は黒の参謀の長い銃を「かせ」と云ってひったくり、狙いを定めて引き金を引きました。ズガンッと鼓膜が破れるかと思うほどの衝撃音が響き、銃から灰色の煙が棚引きました。リュシエルはばたんと地面に倒れました。ミミも「キャアッ」と悲鳴をあげて転びました。
「ううう……」
「大丈夫? 何処にいるの?」ミミが訊ねると、
「……脚を撃たれた」リュシエルの答えが近くで聞こえました。
「お見事」と黒の参謀が拍手して、代理官殿の腕を称えました。
 代理官殿はまんざらでもなさそうな表情で、云いました。
「殿下。不公平だと思いませんか? わしは、どんなに頑張っても、一生将軍にすらなれない。それなのに、あなたは生まれ落ちた時から王子で、死ぬ時には王様だ。今の地位を得るために、わしが、どれだけ危ない橋を渡ってきたか分かっているのか。それに比べて、お前は、何もしないで、贅沢し放題。何も知らない無邪気さで、美女とやり放題。こんな不公平が許されますか?」
 ズガンッ。代理官殿が脇に抱えた銃が咆哮し、起き上がっていたリュシエルが草の間に仰向けに倒れました。リュシエルの脚に回復の魔法をかけようとしていたミミが悲鳴をあげました。
「お見事!」黒の参謀がまばらな拍手をしました。「今度は左腕に命中致しました!」
「この日を長年夢見ていたのだ。お命頂戴致します。腑抜けの総督を脅し、北方総督府が独立王国を宣言する運びになるだろう。それがうまくいけば、わしが総督の座を奪う」
「そして庶民には塗炭の苦しみが!」白の参謀が表情のない声で云いました。
 ズガンッ。銃が三度めの咆哮をしました。リュシエルはもう起き上がってきませんでした。ミミはそばで蹲り、泣いています。
「お前が死ねば、王の子孫はいなくなる。うるさいソフィーも力をなくすだろう。それからじっくり、王宮を潰してやる。王宮は、蛆虫の湧いた死体同然だ。ちょいとひねってやれば、首はもげて取れるだろう。そしてわしがこの国を支配する王となる」
「代理官殿バンザーイ!」黒の参謀が叫びました。「……それとも、王様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「いや、まだ代理官殿でいい」
 そう云うと、代理官殿は片目を細めて銃の引き金を二、三度立て続けに引きましたが、銃はカチッ、カチッと音を立てるばかりで弾を発射しませんでした。
「肝心なところで……」
 そう云うと、代理官殿は銃を地面に投げ捨てました。
「ああ、リュシエルが死んじゃう!」
 メメが走ってミミの背中に抱きつきました。
「とどめを刺すのだ」と代理官殿は指示をしました。「女子供も、忘れるな。此処にいる者は、すべて始末するのだ」
 黒の参謀が軍刀をギラリと抜いてメメの方へ歩いて行きました。
 次第に雨脚が強くなり、すべてを洗い流すような雨に変わっています。
 それまで動こうにも動けずに事の成り行きを見守っていたジョーでしたが、ここへ来て、
「お待ちくだせえ、お役人様」と黒の参謀の軀を後ろから羽交い締めにして止めました。「オラがお知らせに行ったのが、悪かっただか? どうかお考え直し下せえ」
「離せ、離すのだっ」黒の参謀とジョーはしばらく揉み合いになっていましたが、黒の参謀がジョーを振りほどき、軍刀を振り下ろしました。
「ギャッ」
 肉を切る鈍い音がして、ジョーが草の間に倒れました。体の中心にあったと思われる、鮮やかな色をした血が流れ出て、急速にジョーの回りに滲み出しています。
「独立王国を宣言するなどと……代理官殿、何を血迷われたのです?そんな夢は悪夢の中だけで充分で御座います。どうかご正気にお戻りください」
 白の参謀が諫めると、代理官殿は眉を八の字にして、眉間に深い皺を寄せました。代理官殿は普段から濁っている目をさらに血走らせ、沸騰したケトルのように顔を真っ赤にして怒っています。
「貴様は、いったい何度云わせれば分かるのだ!」
 代理官殿の卵型の体型は、今や満月よりも真ん丸く、これ以上ないほどの円形に膨れ上がっています。
「目の前に転がり込んで来た、千年にいちどのチャンスなのに!」
 奇妙奇天烈な代理官殿のお怒りの様子を目の当たりにした黒の参謀はぴたりと立ち止まり、その特徴のない顔を破顔させました。そうして軍刀を片手に持ちながら身体を左右にくねくねさせはじめ、普通の人より二オクターブは高い声で代理官殿を宥めました。
「大丈夫です、代理官殿。反乱計画は、うまくいきますよ。死んだ王とこの王子のことを良く思っている人間はひとりもおりません。麻薬のような快楽と、骨まで打ち砕く圧政に、民衆は涙を流して喜ぶことでしょう。ウヒヒヒヒ」
 その言葉を耳にすると、代理官殿はやっと普通の思考回路に戻ったらしく、眉は八の字から一の形に戻り、円形に膨れ上がっていた体型も、次第に本来の楕円形に収縮していきました。
 ミミとメメは抱き合って震えています。
 黒の参謀が軍刀を片手に「もっと偉くなりたい! もっと偉くなりたい!」と歌いながらふたりのいる方へ一歩ずつ近付いて行きます。メメが云いました。
「そうだ! オカシラたちを呼ぼうよ。きっとすぐ助けに来てくれるわ」ミミも、良いことを思いついたというふうに頷きました。「オカシラ! ミコさん!」メメが叫ぶと、ミミも一緒に名前を呼びました。「ばか力! スナイパー!」「オカシラ! ミコさん!」「助けて!」
 山あいの山荘まで届けとばかりに、ふたりはありったけの声を振り絞りました。山びこが帰って来るような気がしました。
「誰の助けを呼んでおるのだ?」代理官殿は訝し気に呟きました。
「こんな処に、いったい誰が助けに来ると云うのだ?」
 黒の参謀は、辺りをきょろきょろ見回しました。
 やがて、メメとミミの助けを呼ぶ声も、小さくなっていって、最後には泣き声に変わっていました。ふたりは抱き合って、雨と涙に濡れていました。
「早く殺ってしまえ」
「それにしても、何とも惨いことですな。こんな女子供まで手にかけるのは。黙って孤島に追放に致しましても、害はありますまい」
 白の参謀の献言を耳に入れると、代理官殿は顔を真っ赤にさせて内心の怒りを表現していました。鼻から滴り落ちる雨を、代理官殿の激しい鼻息が、小便の飛ばし合いっこよろしくフンフーンと三メートルほどは吹き飛ばし、卵型の体型は、太陽よりも真ん丸く、ますます完璧な円に近付いて膨れ上がっています。
「貴様、何を手緩いことをぬかしておるのだ!」
 普通でない代理官殿の激高する様子を見て、黒の参謀が身体をくねくねさせながら、お尻の栓を盗られてしまったために力が全く入らないとでもいうふうな、ふやけた声で云いました。
「お言葉、ご尤もで御座います。女子供と云えど、いっさい容赦してはならぬと存じます。覇道の達成のためには、僅かばかりの犠牲など、当然許されてしかるべきです」
 その言葉を聴いて、代理官殿は気持ちの昂ぶりを静めることが出来たらしく、雨水を鼻息で吹き飛ばすことを止め、完璧な円形に近付いていた体型も、元の楕円形に縮みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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