レニの光芒 ⑧
瀬川深
しくじったのは、帰り道でのことだ。再会を懐かしみすぎて、席が温まりすぎて、気がついてみればあらゆる電車の運行が停まっていた。同じ方向の連中がタクシーに乗り合ったとき、一人が三宿で、一人が駒沢で降り、おれはレニと二人きりになった。奇蹟だ! そう思ったのは浅はかだった。断じてそんなことはなかったんだ。言っただろう、奇蹟なんてそう何度も起こるようなもんじゃない。暗闇のなかでそっと手を取り、膝をにじらせようとした、そのときのことだ。
――ダメよ。
――だってさあ、レニ……。
――だってわたし、いま、付き合ってる人がいるもん……。
レニの肩が小さく震えていることに気付いた。その声には涙が混じっているようで、耳を覆いたくなった。やめてくれ、レニ、おれが愚かだった。こんなおれのために悲しむのはやめてくれ……。そうだ、あれは奇蹟なんかじゃなかった、タチの悪い偶然に過ぎなかった。時宜を逃してしまったおれの、間抜けな独りよがりでしかなかったんだ。
逃げるようにタクシーを降り、おれは未練がましくレニを見送った。赤いテールランプが角を曲がって消えるまで。わかっていたはずじゃないか、おれにもレニにもすでに八年の年月が流れてしまっていて、それは二度と元には戻らないんだってことが。そんな苦い思いがこみ上げてきた。
レニの光芒 ⑨につづく
作者紹介
瀬川深(せがわ しん)
1974年生まれ。岩手県生まれ。東京医科歯科大学卒業。同大学院博士課程修了。医学博士。
2007年『mit Tuba』(『チューバはうたう』に改題)で第23回太宰治賞を受賞。
作品に、『ゲノムの国の恋人』、『ミサキラジオ』などがある。
イェール大学で遺伝学・神経生物学研究にたずさわりながら、執筆活動を続けている。
(瀬川深様のイラストは、hiroendaughnut様に描いていただきました。)
『レニの光芒』①
『レニの光芒』②
『レニの光芒』③
『レニの光芒 ④』
*『レニの光芒』の無断転載を禁じます。作品の著作権は、瀬川深さんに属しています。ネットでの公開権は、『にゃんころがり新聞』のみが有しています。
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