ここまでのストーリーを読んでいない方は、こちらからお読みください。↓
女子大生・虹乃は、ママから頼まれ、一週間、長生病院に被験者として入院することになった。
ところが退院していい頃を過ぎても、病院から彼女にお声はかからない。
虹乃がママと連絡をとりたいと看護婦に申し出ても、
「あなたにママはいません」
と言われたり、虹乃のことをキチ子お母様と呼ぶ謎の中年女・フチ子が現れたり、孫の赤鬼ちゃん、青鬼ちゃんが出現したり、セックス狂いの先生と看護婦が登場したりなど、病院内はなんだかおかしな雰囲気につつまれはじめる。
……追いつめられた虹乃が、病院を脱出しようとするとき目にしたものとは?!
読者を未体験ゾーンへとつきおとす、爆笑のノン・ストップ・エンタテイメント!
命泣組曲⑧
文:にゃんく
あたしたちに理事長の居場所を教えてくれたあの用務員さんが、階段の縁に手を引っかけ、両脚を宙空に浮かせ、今にもぽっかり口をあけた奈落の底に吸い込まれようとしていた。夢人が用務員さんを引きあげるため、彼に手を差し伸べたその時、力尽きた用務員さんは、声もなく暗黒の奈落の底に落ち込んで行った。あたしたちは、しばらくその場所に立ち尽くしていた。用務員さんが底に墜落した、べしゃっ、という音が、蛙を地面に叩きつけた音のように聞こえてきて、やりきれない思いの中しばし立ち尽くしていた。
それから再びあたしたちは走りだしていた。ようやくのことで六階まで辿り着くと、コンクリートの壁面には罅が至るところに入っていた。院内は停電になっており、非常灯のあかりが薄暗く、建物の部分部分を照らしだしている。天井から埃や砂がぱらぱら落ちてきた。コンクリートの固まりがすぐ傍に落下し、間一髪であたしたちを押し潰しそうになった。あたしは夢人に手をひかれ、必死に階段をおりた。
一階には高齢の患者さんたちが職員に浴びせる怒号が飛びかっていた。患者さんたち十名ほどが受付の修行僧に詰め寄り、「理事長をだせ」とか、「俺を元の姿に戻せ!」とか口々に訴えている。修行僧の男は髭をしごきながら、狼狽の態で何処かに電話をかけ続けている。
玄関正面では白と黒の警備員が何事か言い争っている。
「なんで開けないんだよ? 僕たちまで死んじゃうじゃないか」
と黒の警備員。
「責任感のないやつだな、お前は。俺たちが逃げてしまったら、誰が病院を守るんだ」
と白の警備員。
「そんなこと言ったって、此処が潰れちゃったら、元も子もないじゃないか」
「潰れないって。この病院が、そう簡単に潰れてたまるものか」
待ち合い座席のところでは、おろおろしながら赤鬼ちゃんを揺さぶっている女がいた。
「デュフフ、デュフ」
赤鬼ちゃんは罅のはいった天井を指差し、何事かを訴えかけようとしている。
「うるっせえんだよ、てめえ」
と口走った青鬼ちゃんは、弟に乱暴な口をきいたかどで、母親からお仕置きを受けている。
あたしたちは正面玄関までやって来たけれど、ガラスの扉は開かないらしく、扉の前はすでに病院から脱出しようとする人でごった返している。事は一刻を争う。余震のような揺れが先程から長く続いていた。何度めかの大揺れが、襲いかかってくる前触れかもしれなかった。
「戻ってください、みなさん」
黒の警備員と、胸の小突き合いをしていた白の警備員が、大声をだして言った。
「この地震は、一時的なものです。此処は危険ですが、外にでるのはなおのこと危険に違いありません。あなたたちは病院に護られています。今までも護られ続けてきました。これからだって、護られ続けるに決まっています。ですから、冷静になって自分の病室に戻ってください。外の世界に出たって、おもしろいことは何一つありゃしませんよ。ここは辛抱が必要です。お願いします」
白の警備員は手元にリモートコントローラー様の装置を握りしめている。おそらくそれを操作して、ガラスの扉をロックしているのだろう。
「嘘つくな!」
と患者のひとりのお爺さんが声をあげた。「この殺人病院! ここに入っちまったが最後、誰ひとり生きて出られないじゃないか!」
「そうよ!」とお爺さんの隣にいたお婆さんが言った。「みんな騙されて死んでいったのよ。自分の過去を奪われて!」
「俺たちがいなくなると、やっていけないから、そう言っているだけなんだろ!ふざけるな!」
「ドア、早く開けてよ!」
老人たちは口々に叫びだし、
「みなさん戻ってください、冷静に行動してください」
と呼びかける警備員ふたりを取り囲み、揉みくちゃにし、老人とは思えない力で叩きのめした。ガラスのドアはこじ開けられ、伸びている白の警備員の傍らで、リモートコントローラーがぺちゃんこに破壊されている。
あたしたちが内扉を通過し、外扉から転ぶように出て十メートルほど進んだところで、後ろからゴゴゴゴゴという地響きがとどろいた。夢人も、あたしも、後ろを振り返る余裕もなかった。走って、走って、走って、脚が縺れながらも走って逃げた。なんとか百メートルほど走り抜けたところで立ち止まり、後ろを振り返ると、病院が土台からひしゃげて崩れ落ちるところだった。何十発も仕掛けられたダイナマイトの爆発により倒壊されるように、病院は足元から土煙をあげ、崩壊した。灰色の煙が立ちのぼり、天にむかって太い狼煙をあげるように、棚引いている。いつまでも、いつまでも、棚引いている。
「だいじょうぶかい?」
夢人があたしを抱きしめた。痛いくらい、あたしを抱きしめている。彼は軀を小刻みに震わせていた。気丈にあたしを護ってくれていた彼だったけれど、内心では恐怖のあまり泣きたかったのかもしれない。あたしが彼の背中を撫でると、夢人はやにわに唇を吸ってきた。舌をあたしの口のなかにさし込んでくる。彼の舌は、土の味がした。というより、土の味はあたしのほうかもしれない。なにしろ、あたしはもうお婆ちゃんなのだから。お婆ちゃんのあたしに、けれども以前と変わらぬキスをしてくれた。そのことが、嬉しくて、ただもう嬉しくて、閉じた瞳から、涙が出てきた。怖かった。苦しかった。孤独だった。このまま、ずっとこうしていたかった。彼を、離したくなかった。
でも、だんだん、痛くなってきた。あまりに夢人の、抱きしめるちからが強くて。そんなにしたら、血がとまっちゃいそう……。身をよじり、目を開いた。脚のうえに夢人の脚が乗っかっている。彼の脚をどかせると、むにゃむにゃという彼の声が聞こえた。彼はこんなときに、眠っていた。あたしの太股に、脚を乗せて。
彼を揺り起こそうとした。
「ねえ、起きて! 逃げないと!」
夢人は寝返りをうった。
此処は何処だろう?
いつの間に辿り着いたのだろう。八畳ほどの広さのフローリングの部屋。部屋の一隅には、白いクローゼットやピンクの小物入れ、見慣れた赤いバッグ、猫のぬいぐるみが立てかけてある。つい一週間前に入院のため出掛けた時と、寸分違わない位置に、それらが並んでいる。締め切られたハートの模様が幾つも彩られたカーテンの隙間から、眩しい光が差し込んでいた。あたしは今、まちがいなく自分の部屋にいるみたいだった。
「ねえ、あたしたち、いったい……」
彼を揺するのをやめて、半身を起こしたあたしは、自分の布団のうえの枕にはたと視線をおとした。長い黒髪が絡んでいる。指先でつまみあげてみる。
「……?」
長さからいって、夢人のものではない……。ふらふらと立ちあがり、壁のボタンを押し、部屋の照明をつけた。鏡にかけてあった、埃がかぶるのを防ぐためのストールを剥がす。……目の下に隈ができている女が鏡のなかに立っていた。隈のことはどうでも良かった。問題なのは、そこにいるのが、歴とした二十一歳の若さだということだった。笑顔が作れないのか。鏡のなかにいる女は、唇を歪めて、渋い表情をうかべている。鼻先をつんと上に向け、何処となく気取った様子の、自分の若さにお高くとまっている女子大生の姿が映し出されていた。久しぶりの、自分の姿に馴染めなかった。でもこれが、正真正銘、本物のあたしなのだ。
「やった! やったわ! きゃっほー!」
あたしは叫び、部屋のなかを駆け回った。ドンドン床を踏み鳴らし、何周も、駆け回った。そうして寝入ろうとしている夢人を容赦なく揺さぶった。
「あたし、元の姿に戻ってる! ねえ、ちょっと起きてよ、ねえったら……」
(つづく)
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