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命泣組曲④
文:にゃんく
翌日、病院が開院される九時過ぎには、フチ子の訪問をうけた。赤鬼ちゃんを抱き、もう片方の手で口を尖らせた青鬼ちゃんの手をひいている。
朝食をとると、テレビを見てくるわと言ってあたしは一階の待ち合い座席までおりて行った。女がついて来ようとしたが、
「お願い、ひとりになりたいの」
と言って何とか振り切った。それでも女は時々一階までやって来て、遠目から赤鬼ちゃんを抱きながら此方をうかがっていて、あたしに気づかれるとすぐに姿を隠し、またしばらくすると遠目から様子を窺う、ということを繰り返していた。あたしは女のしたいようにさせておいた。
開院時間帯は玄関にいる警備員が出入りをチェックしていて、外に出してもいい人間に対しては、手元のリモートコントローラー様のボタンを操作して自動ドアのロックを解錠しているようだった。
外部から資材の搬入時に外側の自動ドアが開けっぱなしになることはあっても、最後の砦である内側のガラスのドアはやはり警備員によって管理されていて、開きっぱなしになることはない。
正面玄関からの脱出は、警備員を籠絡し、味方につけない限り不可能に思えた。
警備員はふたりいて、一時間ごとに交代で玄関のドアを守っていた。ひとりは帽子に白いラインが入っていて、もうひとりは黒いラインが入っている。ふたりは双子のようにそっくりな顔つきをしていて、年齢は四十代くらい、黒いラインの入った警備員の方が僅かにお腹の出が大きく、帽子のラインの色と体格の違いでしか、彼らの見分けはつかなかった。
あたしは待ち合い座席に坐り、白と黒の警備員をそれとなく観察していた。白の警備員は時間に厳格で、交代は常に五分前の五十五分にやって来たが、黒の警備員は時間にルーズで、いつもすこし遅れて交代にやって来る。そのたびに、
「なんで遅れたんだよ?」
と白の警備員に追及されて、黒の警備員は明らかに今考えたばかりというふうな、しどろもどろの態で、言い訳をした。
「いやね、そのね、違うんだよ。これには訳があるんだよ」
「訳って何なの?」
「トイレにね、不審物を発見したんだよ」
「それで、その不審物、どうしたの?」
「でね、慎重に中を確認したら、ただのゴミだったってわけなんだよ」
白の警備員はあたしの方を見向きもしないふりをしていたけれど、視界のはしっこに必ずあたしの存在を見据えているというふうだった。黒の警備員は時折あたしと目が合って、慌てて視線をそらす、ということを何度も繰り返した。
一階には売店があり、身の回りの必要な品など、ちょっとした買い物はできるようになっている。
あたしは売店と待ち合い座席のあいだを何度か往復して、病院の様子を観察していた。
診察時間がおわる十八時ころ、通院してきていた人たちは、薬をもらって帰りはじめ、だんだん人が減ってきていた。
何気なく右手の受付の方に顔を向けていたときだった。途方に暮れたように、此方に近付いて来る人がいた。
夢人だった。
それは間違いなく、夢人だった。地獄で仏とはこのことだった。彼はあたしに会いに来てくれていたのだ。
「夢人!」
あたしが呼びかけて駆け寄ると、夢人は吃驚して立ち止まった。ゆっくりと首をまわし、声の主であるあたしを視界にいれる。夢人は指で鼻を掻き、その手を下におろした。
「誰ですか?」
と彼は言った。
あたしは、いろいろと話したいことがあったのに、夢人を見ると、ただ口をぽかんと開けて、何も言葉が出てこないのだ。はやく言葉をつがないと、夢人が行ってしまうと思って焦った。けれども、この場所で、いちばん有効な言葉を探すあたしに、思いつく気の利いたセリフは、そんなに多くはなかった。
「あたしよ、虹乃よ」
夢人はあたしのからだを眺め回して露骨に訝しげな表情をしている。夢人は自分の目に手をやったり、鼻を触ったりしている。それは間がもたないと、彼がいつもやる癖だった。
「忘れたの、虹乃よ」
掠れそうになる声を励まして、言った。思いだして、お願いと訴えかけているかのように、あたしは掌を自分の胸にそっと当てた。
あたしが彼を見つめても、夢人はあたしを見つめてはくれない。
「に、虹乃を知ってるんですか?」
あたしは首をふった。警備員はちょうど交代時間だったのか、ふたりに増えている。受付の修行僧はマンガを読むのをやめ、顔をあげてこちらを見ている。ロビーの柱の陰からは、フチ子があたしたちの挙動をじっと監視している。
「違うの。あたしが、虹乃なの」
周囲を敵に囲まれた状況で、一刻も速く、あたしは夢人のこころに訴えかけなければならなかった。気付いて。真実のあたしを見て。あたしは悪人に騙されて、老婆に姿を変えられてしまっているの。
それでも夢人はフリーズしたパソコンみたいに首を垂れ固まっているばかりだった。
どうして、わかってくれないのだろう。あたしは此処にいるのに。緊張が高まってきて、思わず甲高い声を出しそうになった。でも、そうすることは夢人が嫌がるだろうと思い、寸前のところで自分を抑えた。こういう時こそ冷静にならなければならない。夢人が知っている姿と、あたしは似ても似つかない姿になってしまっているのだ、彼があたしのことを認めない方が正しいのだ。
手が胸元の鎖に触れた。あたしはネックレスをたぐり寄せ、彼に示した。
「あなたがくれたものよ、見て」
彼はしばらくそれを見つめていた。そしてあたしの顔に視線をうつし、またネックレスを見、もういちどあたしの顎に視線を落とした。
彼は目をそらし、口許に手を添えた。そして自分のことばが、あたしたちふたり以外の誰かに聞かれることを怖れるかのように、声をひそめて言った。
「それじゃあ、ぼくたちが、は、はじめてデートに行った場所を、答えてほしいんだけど」
と夢人が言った。すこし考えて、それは映画館だとあたしは思った。瞬きを三回した後、あたしは彼に「映画館よ」と言った。
夢人は周囲を見回した。そして、手をおろし、ますます困ったような顔つきをした。
「ほんとうに、虹乃なのか」
そう言って、夢人は貧乏揺すりをした。「随分探したんだ。いくら電話をしても、出ないし、実家の方には帰ってないって言われた。大学にも来ていないし、病院に来ても、もう退院したと言われた。ぼくは君がぼくのことを嫌いになって、会ってくれないのかと思っていたくらいなんだ。……それにしても、どうしてそんな姿に……?」
思わず癇癪を起こし、好きでなったわけじゃないわよ! と叫びだしそうになった。
「お願い、助けてほしいの、これは陰謀よ、このままじゃ、あたしは此処で、今日明日にでも殺される運命にあるのよ。あたしの病室のお爺ちゃんは、あたしが姿を変えられた日に死んでしまったわ」
夢人は、あたしの言葉がまるで通じないように、しばらくぽかんと口を開けていた。
「そんなことが、あるのか。あっていいのか。許されるのか」
夢人は、解けない問題を前にした小学生のようにオロオロしている。
あたしは焦れったくなって、
「許されるとか、許されないじゃなくて、それはほんとうにあるのよ、実際に、ここに、あるのよ」
と言った。
「でも」と夢人は指でこめかみのあたりを押さえて言った。「何が原因なんだろう?」
あたしは浴衣の帯に挟んでいた、小さく畳んだビラを広げて夢人に見せた。彼はしばらくビラを両手で持ち、それに見入っていた。
「この若返りするっていうエキスに、秘密が隠されているような気がするの。あたしがお婆ちゃんになってしまった秘密が」
とあたしは言った。
顔をあげた夢人の目の色が変わった。まるで彼のなかで、問題の答えが見つかったかのように。
「なるほど」
白と黒の警備員が、あたしたちを前にして言い争っている声が聞こえている。
「なんであの男を中に入れたんだ?」と白の警備員。
「えっ? どの男?」と黒の警備員。
「何言ってんだよ、資料にのってたやつだろ、今、あの婆さんと喋ってる男だよ」
「……僕は入れてないと思うけど。君の番の時に入ったんじゃないのかい?」
「俺の時には絶対入ってないんだから、お前の時に入ったんだよ!」
「そんなことあるはずないよ、言いがかりだよ」
「ふざけろよ。さっき聞いたとき、どの男? って言ったじゃないか。ということは、全然意識して警備してなかったってことじゃないか」
「知ってるよ。あの婆ちゃんの彼氏だろ?」
「嘘つけ。今思いだしたんだろうよ。知ってるんなら、入れるはずないだろう」
「だから僕じゃないよ。君のときだよ」
「お前の時に入ったんだよ!」
「いや、違うね。君のときさ」
「理事長に知れたらただじゃすまないぞ。お前はきっと首だぞ」
「君こそ、おしまいさ」
「何がおしまいだ!」
白と黒は、しまいに、ふたりで玄関の横でお尻をなすりつけ合い押し競(くら)饅頭をやりはじめたので、あたしも夢人も驚いてそちらのほうに一時気をとられてしまったほどだ。
夢人は気を取り直したように顔を此方に向け、溜息をつき、あたしの顔をしばらく見つめたあと、呟くように言った。
「り、理事長のところに行こう」
「え?」
夢人は手の中でビラを握り潰していた。
「理事長は責任者だ。たぶん、全部、理事長が知っているはず。直談判しにいくんだ」
夢人は天井を仰ぎ見ながら言った。
「でも、何処に理事長がいるか、わかるの?」
とあたしが訊くと、
「わからない」
と夢人は言った。
「でも、とにかく、捜しに行こう。この病院の何処かには、きっといるはずだから」
そう言って、あたしの手を引いた。あたしは彼の行動に対し、慎重さを求める素振りを示していたけれど、内心では彼が動きはじめてくれたことを、とてもうれしく思っていた。
あたしたちがエレベーターの前まで行くと、まだお尻押し競饅頭大会を実施していた警備員たちが、
「あっ」
と言ってお互いお尻を突き出した格好で静止し、顔を見合わせ、「待て―」
と言って追いかけて来た。でも、彼らが辿り着く前に、あたしたちはエレベーターに乗り込み、ドアを閉めた。
(つづく)
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