『白い紙』(シリン・ネザマフィ著)NOVEL REVIEW | 『にゃんころがり新聞』

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本作と『拍動』で芥川賞の候補に二度あげられている作者。文学界新人賞受賞時のプロフィールでは、1979年生まれ。現在、37歳でしょうか。イラン・テヘラン出身、神戸大学大学院修了、システムエンジニア、となっています。
 
 
 

シリン・ネザマフィ

 コンスタントに作品を発表し続ければ、「漢字使用圏ではない外国人」では初の、芥川賞受賞となるかもしれない作家だと私は思っています。


(あらすじ。ネタバレあり)
 舞台はイランです。時は戦時中で、イランイラク戦争の時でしょうか。だとすると、時制は1980年代ということになります。
 主人公は女性です。文章に、「私」という主語はありません。文学界新人賞の選評でも、「私は」という主語を省いた文章が話題になりました。これは、読者に感情移入してもらいやすくする工夫のようです。物語は、この女性の視点を通して語られます。女性は高校生で、三ヵ月前、母親ととも首都のテヘランから、安全なこの田舎町に引っ越してきました。

 学校の授業風景からはじまります。先生の言葉、「君たちの今は白紙のように真っ白だ。これから君たちがその白紙にいろんな絵を描いていく。老人になって振り返って自分が描いた絵に満足できる人生を歩むため、今からしっかりしなさい」という話を生徒たちにします。成績の発表があり、唯一の満点が、ハサンという男子です。
 シーンがかわり、「私」が水かけっこをしている生徒たちを見ていると、いつの間にか傍に男の子がいて、話しかけてきます。男女が喋るのは禁じられていて、見つかると退学になるので、驚いていると、ハサンと呼ばれたその生徒は、私の父親がいつ帰ってくるのかだけを聞き出すと、走り去ります。私の父は医者で、現在、最前線の町の病院に派遣されています。
 私は、週に一度三日間だけ帰ってくる父のために、バザールと呼ばれる、トンネルのように細長い建物の中にある市場に母親と買い出しに出かけます。

 毛の刈られた、肉の一部が削ぎ落とされた羊が、肉屋の天井から吊り下げられていたり、客の目の前で、頭を斬り落とされた鶏が走り出てきたり、野性味というか、あけっぴろげなところのある市場です。そこにハサンが、母親と一緒にやって来ているところを見つけます。私は思わず、ハサンに見とれてしまいます。
 シーンは変わって、父親が家に帰って来ています。そこに、冒頭の学校の先生が診療にやって来ています。先生は父親に、「既にこの国では戦争のために十五歳から徴兵しているが、その年齢をさらに下げようとしている。けれども、どうしても、ひとり、戦争に行かせたくない生徒がいる」と話します。どうやら、ハサンのことを言っているらしい。
 次に、女性が診察にやって来ます。ハサンが介助をしているその女性は、ハサンの母親のようです。私は玄関の外でハサンと会話します。
「医者になりたい」
 とハサンは言います。
 日をおいて、私はハサンと少し離れて歩きながらも、連れたって一緒に、祈る場所であるモスクに行きます。そのようにして私は何度かハサンとモスクに通います。
「大学入試を受験する」
 とハサンは言います。医者になるためにです。

 或る日、ハサンとモスクに行く途中、空爆に遭います。避難したモスクの中で、兵士を募集する髭の男の演説を聴きます。「我々は戦争に勝つ」と男が檄を飛ばすと、聴衆は熱気に包まれます。兵士になるためのリストである白い紙に、署名をする人が出てきます。ハサンはそれを見ています。
 十日目に学校に行きますが、無期限の休校になっています。ハサンに会えない私は、まさかハサンがあの白い紙に名前を書いたのではと怖れます。近くにいた先生に、勇気を出してハサンのことを聞くと、ハサンはイスファハンという町に受験をしに行っていると教えてくれます。

 三日後、イラクが国境を越えて侵入してきます。テヘランへの空爆の可能性が高まり、首都の学校が全て休校になります。
 或る日、モスクの前でハサンと出会います。イスファハンからの土産でしょうか、絵が描かれた白い箱をもらいます。「父が来月帰ってくる」とハサンが嬉しそうに言います。

 何日か経ちます。私は父の親戚がいる町に引っ越すことになります。ハサンの家の場所を知りませんでしたが、それを伝えるために、以前、玄関に大きな罅が入っているとハサンが話していたことを頼りに、彼の家を探し出します。そしてハサンと会いますが、ハサンは何故か落ち込んでいるように見えます。やがて彼は話します。
「俺は昨日まで、戦争に行っている英雄の息子だった。」
 けれども、戦地で、味方の半数は死亡し、半数は逃亡した。戦争に行っていた父が逃げたという話を彼は語ります。

 それから日が経ち、或る日、ハサンが家を訪ねてきます。先生が話してくれた白い紙の話を覚えているかと、ハサンが私に聞きます。
「信じてる?」とハサンは訊ねます。
「何を?」と私は聞き返します。
「自分たちの人生が、白い紙で、そこに何を描くかによって人生が変わってくるっていう話」
 私は信じていると答えます。
 ハサンは、白い紙を半分に破り、自由になるのは半分だけと話します。さらに、彼は明日九時に広場に来てと言います。当日、私が行ってみると、トラックが数台止まっていて、十二歳くらいの少年などがいます。彼らは、「今から戦争に行く」などと、幾分ゲーム感覚の、高揚した口調で話しています。その中にハサンがいます。私はハサンに話しかけますが、間もなくトラックが動き出します。そこへ先生がやって来て、ハサンの受験が合格だったことを伝えます。そして医者になる方が国が助かるなどとハサンをトラックから降ろすため説得を試みますが、ハサンは無表情で、トラックはそのまま行ってしまいます。



 非常にきれいな作品です。文章も端正で、無駄がありません。ゴタゴタ書き込んでいない割に、中東のシーンが浮かんできます。
 物語の構成も巧みで、伏線となるシーンが丁寧に描かれているために、違和感を感じさせません。医者の夢を投げ捨てて戦地に赴いてしまうハサンの気持ちがわかるだけに、やり切れないラストです。
 単なる<些細な日常を描いた>というようなものでなく、テーマが大きく、普遍性があります。


ハサンのイスファハンからの土産物の、<絵が描かれた白い箱>、というのも、作中語られる「白い紙」を連想させます。
 創作合評ふうに、すべて要約してみましたが、できれば要約を読まずに作品を堪能していただきたいです。

 

(文藝春秋発行『白い紙/サラム』が出版されています)

 

にゃんくの評価 
 

文:にゃんく

 

シリン・ネザマフィの似顔絵は、hiroendaughnutさんに描いていただきました。

 

hiroendaughnutさんは、音楽を聞いたり歌ったり、踊ったりするのが大好きという、アーティストさんです。素敵な似顔絵を描いていただきました。
ココナラでhiroendaughnutさんに絵の注文をすることができます。↓
https://coconala.com/users/358675

 

 

 

 

 

 

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