寒い一日でした。
私は土曜日も出勤なので、休みが来たと思ってもすぐ終わっちゃう。
また一週間始まるなあ。
今日は休みだけど在宅仕事、
だけど半分に減らしてもらったから夜の作業なくなった。
ラク〜
そう思えるのも、
辛いスケジュールを乗り越えたからであって、
だから、キツい日々も無駄じゃなかったのかな。
仕事が楽に感じます。
少しはスキルが上がったかも?
私の父は、
「ガンにさえならなければ」
って本当によく言います。
父は体力自慢、
見た目も若く、
人より丈夫で、
人より運動が得意で身体能力高かった。
父がガンと戦い始めておよそ20年、
始めは小さな肺ガンだった。
それから腎臓ガンが見つかり片腎摘出、
2度目の肺ガン、
胸膜転移、さらに肺転移…
今は、他にも転移しています。
今年は皮膚ガンにもなり日帰りで摘出した。
高齢で認知症、腎不全なのでガンの治療はしていません。
父は来年90歳、
平均寿命はとうに超えたけど、
父と同年代でもまだまだ元気な人はたくさんいる。
「ガンにさえならなければ」
気持ちは分かります。
同じガンの私だもの。
ガンにさえならなければ、
まだまだ元気で動けたかも知れない。
まだスポーツや趣味や旅行を楽しんで、
身体を鍛えてマスターズだって夢じゃなかったかも知れない。
ガンのせいで、
ガンがきっかけで、
元気な老人から病人に転落してしまった父。
思うように身体が動かなくなった父。
だけど、
ガンになったから今まで生きてこられたんじゃないかと思うこともある。
ガンにはなったけど、
そのおかげで病院へ行くことが習慣になり、
検査をすることが日常になり、
総合病院の診療科コンプリートするんじゃないかってくらいの勢いだった。
ガン罹患者だから、
検査で疑いが出るとさらに検査をするようになった。
繰り返しのガンは、
比較的初期のものが多いです。
もし、あの時ガンが見つからなかったら、
健康を過信していた父は、
もっと早く重篤な病気で死んでたかも知れない。
病院へ行く習慣が、
いつまでもなかったかも知れない。
本人には言えないけど、
私は心の隅でそう思うことがあるのです。
人生に「たら・れば」はない。
だからこそ、
あの時こうだったら、
と私は思いたくない。
「私が乳ガンにさえならなければ」
そんな風に思っても、
「今」は変えようもないのです。
自分に都合よく考えるしかない。
「ガンにさえならなければ」より、
「ガンになったからこそ」と、
そう思うことが私自身の幸せです。
違いますかね?
利き腕術側で痺れもある私は、硬いもの切るのが怖くなりました。
ホクホクで美味しいカボチャ、
友達が「冷凍しとくといいよ」と言ってくれたけど、
カボチャ大好きな私は多分数日で食べちゃう。
ほくほくでウマウマのカボチャでした。
お歳暮でもらったハムと、頂き物の奈良のしば漬けと仙台の赤カブ漬けの貰い物ばかりのありがたい晩ごはん、
デザートのリンゴも貰い物。
全部美味しかった
柔軟な身体欲しいよねー。
今週も頑張るよー