わたしは、ずっと世界に絶望していた。
だから、周りも世界に絶望している人ばっかりだった。
「だから、日本はだめだ」
「資本主義がまわらなくなっている」
「人間というモノはそもそも、、、」
表現は違えど、言っていることは同じ
「こんな不完全な世界になんて生きていたくない」
その世界に対する絶望は、
母に対する絶望の味と似ていることがよくわかりました。
わたしのことを全然理解しようとしない母
わたしのほしいものではなく、自分のあげたいものしかあげようとしない母
わたしがこんなに苦しいことを全く理解できない母
わたしがこんなに愛していることをうけとろうとしない母
母に変わってほしかったのはわたしでした。
「わかってほしい」「わかってほしい」とお互いしていることが
ようやく体で腑に落ちました。
わたしはずっと世界に絶望していました。
その絶望の味は「いくら愛してもわかってもらいえないんだ」という悲しみと同じ味がしました。
その悲しみを味わいつくしたら、
わたしはもっと世界を愛せるかもしれない。。。
それは、
一筋の光のような気がするのだ。