「正しいかどうかわからなくって なかなか行動ができません。」
なんて声をよく聞くので、
この
「正しいかどうか気になる病」ってなんやろ?
ってのをなんやかんやと考えてしまうワタクシですが、、、
みなさま、
いかがお過ごしでしょうか?
先日ビリーフチェンジセンパイの京野さん(フランスの赤ちゃん似)
とそんな話をしていて、
「それって、芸術的なコトをしてたら思いにくい感覚かもねぇ~」
ってコトに至りました。
なるほど!
さっすがセンパイ!
「正しい答えがどこかにある。
それが見つけられないもやもや」
って、
お勉強的 テストされる的感覚なのかもしれませんし、
さらに言うと、
「択一試験」に慣れきった思考回路なんじゃあないのかな?
だって、
数学の証明なんて、
どんな結論でも「証明過程」というか、
「プロセス」が大切だったりして、、、、
(そういえばワタシ、証明問題好きやったなぁ~)
世の中には、
「解なし」という回答があることがあたりまえで、
さらにいうと、
「正しさ」という基準なんて、ホント「マニュアル」的なモノがある時にしか
通用しないわけでして、、、
架空の基準におどおどしてるんやな?
って、
まず知ったうえで、
「それって誰の基準なん?」
ってとこをみていけばいいのかな?
なんて思いますわ~
国語のテストにある
「この文章におけて、作者の伝えたかったことは?」
(ワタシがとってもニガテだった性質の問題です。)
を選択肢から選ばせる問題といい、、、
今の日本の教育って
自主性を奪う訓練をさせている気がするのがワタシだけかしら?
「白熱教室」をみて、
当時 簿記の講師をしていたワタシは
「こんな授業がしたい!」ってコーフンしたもんです。
(簿記ってそんな教科ちゃうねんけどな、、、)