「あればいいってもんじゃない?」 知識と食べ物屋さんのメニューって似てる? | アダルトチルドレンがで半年で5人結婚したビリーフチェンジセラピー/松本典子(まつこ)/星読み/タロット

アダルトチルドレンがで半年で5人結婚したビリーフチェンジセラピー/松本典子(まつこ)/星読み/タロット

大阪、南森町で占いと
心理セラピーをしています。
半年で5人のクライアントさんが結婚しました。

心理セラピーを使った
催眠恋愛術講座を開催中

三国丘高校
大阪市立大学(現大阪公立大学)卒
 

こんにちは!

ゆるみんとタロットとおしゃべりの松本典子です。


知識ってありすぎても、
知識に頼りすぎてもイカンし、
無さ過ぎてもイカンよな~
って思う今日この頃、

みなさま、
いかがお過ごしですか?


この上の4行の「知識」というコトバを
「メニュー」に置き換えて
あたかも「何食べよっかな?」って場面にたとえ直すと
このカンジがとっても腑に落ちおちるな!
と気づきました。

メニューってありすぎても、
「なに選んだらいいねん?」ってなるし、
メニューが「きつねうどん」だけでも、
困るよな~

どうでしょうか?

知識が多すぎる人って、
自分の本質をみる時に
「これだけオレは知ってるんだ!」
って知識の量で自分をガードしようとする。

これって、
いっぱいメニューがあるんだから、
味のことは言わないでくれ!
ってカンジだし、

知識がなさすぎる人って、
そもそも、
あまりにもなにもわかっていない。

男性と付き合ったことがないのに、
結婚したがっている人って、
うどんをつくる材料しかないのに、
「チーズケーキを作りたい!」
っていってるだけかな?

って思います。

まず、
クリームチーズ買に行こうよ!


自分が何を食べたいのか?
そのためにはナニが必要かで、
ナニが足りないか?

結構気づいてない人っているな~

って思います。



知識は手段ですが、
なんのためにそれを獲得しようとしているのか?

今、この日本に生きるために必要な最低限のものもある。
というコトを
意識しないといかんな~

って思います。