ゆるみんとタロットとおしゃべりの松本典子です。
その①
その②
のつづきです。
ワタシは最近 定期的に箱庭をつくっています。
箱庭ってこんなん(ワタシが作ったんじゃあないけど、、、)
↓
箱庭療法って?心理療法の一種で、箱の中にクライエントが、セラピストが見守る中で自由に部屋にあるおもちゃを入れていく手法。表現療法に位置づけられるが、作られた作品は言語化されるときもある。基本的に自由に見守られながら表現することが重要であるといわれている。(ウィキ先生より)
箱の中におもちゃ自由にをおいていくだけなんですが、
これって、
箱という制約があるのと、作る作業を誰かにみてもらう
の二つがとても大切のようです。
一人で箱庭をつくるのは、
危険だからやらないようなんです。
自分の世界をつくるのは、
その枠と、見てくれる存在が必要なんかな?
見てくれてる存在って
阿弥陀様的な存在???
最近、自分の世界をつくるにあたって、
神様的な 阿弥陀様的なものに、
モンクがあったら文句を言うようにしています。
「こんな世界きたくなかったんや~!」
とか
「こんな理不尽な世界なんかなくなっちゃえ!」
とかとか
これね。
やってみたらわかるんですけど、
はじめはすごく勇気がいるんです。
だって、
神様に悪口言ったら、
神様に怒られそうじゃあないですか?
でもね、
きっとワタシたちの価値観の「いい わるい」なんて、
神様はとっくに超えていて、
ワタシたちのモンクなんかで神様が怒るだなんて、
おこがましいにもほどがあるんです!
逆にいうと、
「こんなこと言うと神様に怒られちゃうんじゃあないか?」という態度は、
神様の存在やその器を信じていないってことちゃうの?って思う。
自分の枠にある、
自分たちと絶対的に価値基準の違うものが見守ってくれている
という感覚を信じることが、
自分の世界をつくるために必要なんかな???
ワタシのモンクなんて、
「まつこちゃん、えらい怒ってるやないか~」
「まあ、
なにゆうてもええけどな。実名はちょ~とまずいんじゃあないかな?
誰が見てるかわからんしな~」
程度でしょう。。。
たぶん
モンクがあったら神様に言おう!
きっと意外なところでお返事が来るけど、
それは神様がちゃんとみてくれてるっていう証拠だから。。。
ちなみに、
「早く 神様のトコに帰りたい!
肉体なんか持ちたくなかったよ~。」
って大騒ぎしたら、
友人から
「よしよし そやね、でもいまはいてよね、楽しくすごそうよ
かみさまに怒って甘えたり文句言ったり!」
って返事がきました。
それはほんとうに神様からの返事みたいでした。
つづく!