こんばんわ~
ヨガとタロットとおしゃべりの松本典子です。
ワタシ、
裏表のある人がニガテです。
裏表があるってのも程度も問題があって、
「オトナとしてのたしなみ」
から
「ヤヌスの鏡」
まであると思います。
裏表というコトにやたら反応してしまうのはなぜか?
あれこれ内観してみました。
なぜか、「みえをはる」にいきつきました。
ワタシの中で「みえをはる」と「裏表がある」は、
ニアリーイコールです。
先日、実家に帰って時に母に、
「あなたはお母さんもお父さんも自慢のムスメよ!」
とドヤ顔で言われました。
ものすごい嫌悪感でした。
母はどうやら、ほめているようでした、、、
母も父も、
ワタシには厳しく、なかなかほめてくれませんでしたが、
外の人にはワタシのことを自慢していたようです。
そんなんいらんねん!
他人からみてでどうこうじゃなくって、
アナタの軸でワタシをほめてよ!
ワタシを安心させてよ!
という怒りがわいてきたので
それをそのまま受け流しました。
ふ~
「自慢のムスメ」という表現は、
両親からは「ほめる」行為であったのでしょうが、
ワタシは「自慢のネタに使われた、、、」
と受け取ったんですね、、、
認識は事実より奇なりというところでしょうか???
裏表がある人がニガテ、
の裏返しか、
ワタシ自身は裏表がなさすぎです。
世間一般では、
そのまんまを他人様に出さないようなので、
ワタシの裏表のなさは、
逆に「何か企んでいるの?」と
深読みされることもあるようで、、、
別に、
裏の顔と表の顔を持つ必要がワタシにあるとは思わないのですが、
その「まんま感」がなにかから逃避するためなのであれば
まだまだ統合する余地はあるのかな?
と思います。

ヨガとタロットとおしゃべりの松本典子です。
ワタシ、
裏表のある人がニガテです。
裏表があるってのも程度も問題があって、
「オトナとしてのたしなみ」
から
「ヤヌスの鏡」
まであると思います。
裏表というコトにやたら反応してしまうのはなぜか?
あれこれ内観してみました。
なぜか、「みえをはる」にいきつきました。
ワタシの中で「みえをはる」と「裏表がある」は、
ニアリーイコールです。
先日、実家に帰って時に母に、
「あなたはお母さんもお父さんも自慢のムスメよ!」
とドヤ顔で言われました。
ものすごい嫌悪感でした。
母はどうやら、ほめているようでした、、、
母も父も、
ワタシには厳しく、なかなかほめてくれませんでしたが、
外の人にはワタシのことを自慢していたようです。
そんなんいらんねん!
他人からみてでどうこうじゃなくって、
アナタの軸でワタシをほめてよ!
ワタシを安心させてよ!
という怒りがわいてきたので
それをそのまま受け流しました。
ふ~
「自慢のムスメ」という表現は、
両親からは「ほめる」行為であったのでしょうが、
ワタシは「自慢のネタに使われた、、、」
と受け取ったんですね、、、
認識は事実より奇なりというところでしょうか???
裏表がある人がニガテ、
の裏返しか、
ワタシ自身は裏表がなさすぎです。
世間一般では、
そのまんまを他人様に出さないようなので、
ワタシの裏表のなさは、
逆に「何か企んでいるの?」と
深読みされることもあるようで、、、
別に、
裏の顔と表の顔を持つ必要がワタシにあるとは思わないのですが、
その「まんま感」がなにかから逃避するためなのであれば
まだまだ統合する余地はあるのかな?
と思います。
