待つことを覚えた扉 | 言葉のサラダ

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日記かいてます。牛乳が好きです。

あいてしまった扉はきっかけがないと閉められず

自分で閉める力ももっていない

だからといってあけたまんまでいると、傷つくのは自分で

閉める力がないというより、閉める意志がないんだと思う


一度は入ろうとしたんだよね

問いかけてみたいけど、それは人違いだよと忘れたような顔をされるのが怖い

いつも後ろを振り返りながら言葉を出す人には、とうていかなわないそこの人

今度は自分から呼んでみた、もう一回ちゃんと入らない?

うーんちょっと待ってて、目は違うところを見ていた

選ぶ権利はそこの人がもってる、それ以上なにも言えなかった


何日かたった、中にはいらず会話を楽しんだこともあった

ある日朝起きたら置き手紙があった

今日きたんだけど寝てたみたいだから

変な優しさが嫌いだ

あれから姿を見なくなったそこの人

通りがかりの人に聞いてみた、遠くへ行くってきいたよと教えてくれた

どこへいこうとしているのか分かっていた

とめる権利も術もない、なにもしないことにしたが

また来てくれるのを待つことにした

待つのがつらいことはよくわかってんだけど

それしかできないこともわかっていた、そこの人も、人も

でも多分、待つとこないんだよな、そんなもんだよ


人は今でも待ち続けている

通りがかりの人が教えてくれるその人の噂話をきいて

また置き手紙がくるのを

人は待ち続けている

扉の前にそこの人がくるのを

人は願っている

扉の中にそこの人が入ってきてくれるのを。