勉強ノート  奥の細道を辿る(26)永平寺 | 中島幼八

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中国残留孤児が辿る

 

         奥の細道紀行(26) 

                  永平寺

 

那谷寺から山代温泉にきて泊まった。宿は普通の門構えの割には、大きな浴場で滝もジャージャーと流れていた。立ちゆかなくなった老舗旅館が別の経営者に引き継がれたと思う。町なかに立派な共同浴場が二軒もあって、はいりたかったが、近くに魯山人の美術館もあると知って、陶芸をやっている人間としては、当然見逃してはならない。限られた時間内で小走りで駆け回った。

大正時代に魯山人は山代温泉に滞在していた。ここで地元の陶芸家に焼き物を学び始める。その時の仮住まいの山荘がいま美術館になっている。幼少の頃から代わる代わる養父母に育てられて、生きるために書を学び、看板を彫り生計を立てる。さらに陶芸や料理に研鑽をかさね、世を風靡する芸術家になる。世田谷区立美術館に収蔵品が多く、展覧会を観たことがある。ここで偶然にその修業時代の様子を知ることができた。

 

翌日、山代温泉からバスで永平寺へ向かった。直行のバスが出ていると知ったときはうれしかった。山道をくねりながら、1時間後に下山して、すぐに九頭竜川を渡り、永平寺の門前で下車した。

 

「奥の細道」では芭蕉は「五十丁、山に入りて、永平寺を礼す」。この永平寺は、「道元禅師の御寺也。邦畿千里を避て、かかる山陰に、跡を残し給ふも、貴き故有とかや。」

 

実を言うと中島家のお寺は曹洞宗である。永平寺はその大本山にあたる。私は階段を数段あがり、そばの四角い石柱に彫り込まれた「永平寺」という三文字の力強さに圧倒された。なぜか、このときに特にこの三文字に力を感じた。はじめて聖地に足を踏み入れたからであろうか。

 

 

道元禅師は1223年に師の明全とともに博多を出向して、当時南宋の時代である中国福建省アモイを目指した。つまり留学したのであるが、その時代だから小舟で海を渡るのだ。危険が多い。道元曰く:「航海万里、幻身に任せ」明全曰く:「仮令また渡海の間に死して、本意を遂げずとも、求法の志を以て死せば、生々の願ひ尽きるべからず」二人とも「不惜生命」(ふじゃくしんみょう」の覚悟で敢行したのである。

到着して岸辺にとどまっていたが、ある日、日本の「しいたけ」はないか、と一人の老僧が寄ってきた。なんでも自分は阿育王山の典座(てんぞ、炊事係)だが、雲水たちに食べさせてあげたいのだ、という。道元は「お歳からして座禅か読経三昧でものんびりすればいいのに」と言ったところ、老僧は即座に、「日本から来た若いお坊さんよ、弁道(修行)や文字(経典)とはなんぞや、まだ分かっておらんの?典座はわしの弁道じゃ」と答えた。つまり、典座こそわしの修行じゃよと、かっかっかと笑った。もっと長いやりとりで禅の哲学を披瀝された。道元は終始中国語で老僧と対話するほど、言葉に精通していたようだ。阿育王山で老僧との再会を約束して別れたが、この後、二人は入山して、道元は恩師如浄に巡り会い、4年間学んで帰国を許された。そして、「只管打坐」「身心脱落」(座禅さえしていれば、自然と心身共に悟りの境地になる)と禅学の神髄を確立した。のちに、53歳の死に至るまで道元は「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)95巻の膨大な書物を書き続けた。何でもないような一老僧が留学の先師に劣らない教え、「大恩」を与えてくれたと、この話を「典座教訓」のなかで回想している。

 

その精神はいまでも永平寺の雲水たちに引き継がれているようだ。木造建築のお寺の階段といい、廊下といい、歩いていると木の香りも感じ、木の肌を洗いざらしの木綿肌のように感じさせてくれる。

道元を引き継いだ二代目の懐奘(えじょう)は、師のそばにお供した40年にわたる薫陶の教えをまとめ、「正法眼蔵随聞記」を残している。孔子の教えをまとめた「論語」、またエッカーマンがまとめた「ゲーテとの対話」と同じ価値ある先人の遺産である。

これが私の道聴塗説のなまはんかな感想であった。

いまでも永平寺は全国から集まるお坊さんたちのたまご雲水の道場となっている。今回永平寺の拝観は、道元や懐奘の弟子である雲水たちの姿を見るのも学ぶことであった。

 

 

最後に、焼き物愛好家として、ちょっとしたエピソードを挟んでこの章を終わりにする。もちろん、これも道聴塗説の知識である。道元が入宋して求法にあたって、加藤景正ら二人の若僧が身辺の世話をしていたようだ。景正は瀬戸の出身で焼き物(瀬戸物)を職業としていた。その関係で永平寺の歴代住持の骨壺は今に至るまで、瀬戸の加藤宗家で作られているとか。これが伝統である。

 

帰り道は雨の中だったが、満足してバス停に向かい、福井駅へバスに乗った。

 

 

      (次回、27章 福井へ)

 

 

 

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