勉強ノート  奥の細道を辿る(6)須賀川 | 中島幼八

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中国残留孤児が辿る

 

  奥の細道紀行(6) 

          須賀川

 

芭蕉は白河の関を越えたら、須賀川に入るが、門人の等窮が待ち構えていた。「まず白河の関はどんなご気分ですか」と聞かれた芭蕉は「風景に魂うばわれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう・・」と答えて、

 

  風流の初やおくの田植うた

 

と、次々と句を作った。

等窮は大地主で田植えに大忙しだった。広面積の水田に大勢の人が田植えの歌を歌いながらの作業は、さぞかし八十八夜の茶摘みのような雰囲気に違いない。風流というのはそういう状況だろうか。

 

さて、私が須賀川へ訪れたのは田植えの時期ではないが秋の季節であった。JRの駅から市内までは、かなりの道のりだった。広々と視野が広がり、「遠くに会津の磐梯山らしく、そして「岩城、相馬、三春の庄、常陸、下野の地をさかひて、山つらなる」広大な風景が目に入る。

 

その日あいにく月曜日なので、芭蕉記念館が休みだった。近くの市役所に寄ったら、ロビーで梨を売っていた。大きな梨がおいしそうだが、旅先ではとても持ちきれない。栗でもあれば買ったかも知れないが諦めざるを得なかった。しかし、それから10年近く経って、身内になった人が須賀川の生まれであった。親御さんから、私が食べ損ねた須賀川の梨を贈っていただき、念願を叶ってくれた。

 

    世の人の見付ぬ花や軒の栗

 

 世の人目を厭う僧が庵を結んだところにも足を運んだ。

ここで、芭蕉は西行の歌を偲んだ。「橡ひろふ太山もかくやと、しずかに覚えられて・・」

 

 

 

ここで、芭蕉は、栗の木から、橡の木まで連想する。また栗の木陰に庵を結ぶ僧の事を聞いて、西行へ思いが飛ぶ、さらに栗の木から行基菩薩へと思いを巡らす。

こういうときに芭蕉の脳の働きはじつに宇宙空間を自由闊達に遊ぶ感じがする。

 

 

 

         (次回は(7)章 二本松へ)

 

 

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