勉強ノート  奥の細道を辿る 前書き | 中島幼八

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中国残留孤児が辿る

 

  奥の細道紀行 前書き

 

「中国残留孤児」ということばをブログの枕詞のようにつけているが、私の肩書きみたいな役割である。というのは、私の生い立ちはふつうの日本人とまったく違うので、言葉遣い、表現の仕方などは奇異に思われることがある。こういう者なので理解してくださいという但し書きのような意味でつけている。とくに、「奥の細道」なんて、日本の伝統的な文化を象徴するようなもので、かつ日本人ならだれでも共通した理解があると思われる。しかし、私のような風変わりな日本人には共通しない理解の仕方もあるので、あえて勉強ノートの形で発表させてもらう。

そもそもこんな風変わりな日本人がどうして松尾芭蕉さんとご縁を持つようになったのか、説明する必要があるかも知れない。

 

私はかねてから、唐招提寺に関心がある。鑑真和上は753年に6回にして日本への航海が成功した。その時、すでに両目が失明して、それでも唐招提寺を創建して、仏教の普及に尽力された。

境内のお墓への道を行く途中に芭蕉の句碑がある。「若葉して御目の雫(しずく)拭(ふかは)ばや」

鑑真の苦労と芭蕉の敬慕の念が凝縮された句と思い、奥の細道を読むきっかけとなった。

 

その後、1998年の夏、定時制高校時代の同級生が宮城にいるのはわかって、会いに出かけた。乗換駅一関駅のホームで二つ先は平泉ではないかと発見、もっと奥にあると思っていた。急遽予定を変更して足を延ばした。小半日の時間を利用して、駆け足の平泉観光に汗を流した。中尊寺までの時間がなかったが、翌年にゆっくりあるくことができた。

このときから、私は奥の細道を辿る課題を追求するようになった。現時点ではほぼ芭蕉の主な足跡をたどったので、このブログで私の行脚紀行を綴りたいと思う。

 

さて、日本では俳句、また俳諧とも言うが、中国では「漢俳」という。やはり五七五文字の構成によるものだ。たとえば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」の中国語訳は、「閑寂古池旁 青蛙跳入水中央 撲通一声響」というふうに。撲通(プトン)というのは擬声語。ここに擬声語までつけるのは余計だなと思われる。そもそも、漢俳は中国にとって日本からの輸入文化であり、固有の五言や七言の絶句・律詩と比べ、なんとなく物足りない感じがする。

しかし、日本の万葉集は、当初皇室歌人が中心で作歌が始まり、意外と漢詩の影響を受けて、五言や七言の数字が五音や七音のヒントになったのではないかと勝手に想像する。

「古池や・・」の句碑、左:深川芭蕉記念館、右:芭蕉稲荷

 

ちょっと道からそれるが、私の通訳仲間、いや先輩と言わなければならないが、瞿麦(なでしこの意)さんという上海の通訳がおられた。じつはこのお名前は本名と思っていたが、最近彼の俳号だと知り合いから聞いた。40年程前、私が通訳をやり出した頃の話ではあるが、上海の家庭訪問のとき、瞿麦さんが通訳をしてくださった。おもてなしをしてくれたのはその家庭の主婦、甲高い賑やかな上海語が飛び交い、そばに腰掛けている瞿麦さんは、ズボンの裾をまくり上げて脛を露出したままでテキパキと日本語にしてくれる。まるでその家庭のご主人の感じだった。その雰囲気につられて、日本側の質問も遠慮なく続出した。収入はいくらとか、仕事が何かとか・・じつに和気あいあいの訪問だった。通訳なりたての私にとってなによりの勉強であった。というのは、通訳の心構えについて黒子になりきることだとよく言われていた。こういう交流の時は双方の人に通訳の存在を感じさせないことが黒子になりきる条件だともおもった。のちに瞿麦さんは来日して漢俳を教えていると聞いて、彼にはこう言った隠れた才能もあったなと感心した。

 

さてさて、道草をやめて、本題に入ろう。これから連載の形で、合間を縫って歩いた奥の細道を順に綴ってゆくことにする。

 

 

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