学習ノート 粟裕将軍の非凡な生涯を語る(21)人民戦争 | 中島幼八

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中国残留孤児が語る

 

   粟裕将軍の非凡な生涯(21)

              人民戦争

 

粟裕の回顧録は最後の第19章では「真の金城鉄壁」というタイトルで人民大衆がこぞって解放戦争を支援してきたことをるるとして記述してある。

毛沢東の書:人民戦争勝利万歳

 

 

考えてみれば、表の戦場では勝敗を決するのは指揮者と戦闘員の力に頼ることになるが、それだけではできない。銃後における様々な仕事がある。回顧録にいちいち詳しく上げている。戦場へ食料や砲弾を運ぶ手押し車、戦場から傷病兵を運ぶ担架隊や救護隊、兵士の衣服や靴などの縫製を引き受ける婦人たち、急なときに仮の人橋を作ってまで兵士の行軍を助ける村人、捕虜を看守する民兵、等々はすべて名もない大衆が自ら参加して解決してくれる。これが人民による戦争である。すなわち、これこそがなにものにもやぶれることのない真の金城鉄壁であると粟裕は強調している。

そして、歴史を振り返るたびに、人民への感謝と敬意の念に禁じない、と書いている。

 

             写真1:砲弾を運ぶ手押し車

             写真2:兵士の靴を縫製する婦人たち。

            写真3:淮海戦役へ延々と続く担架隊の行列。

 

            写真4:前線へ食料品を運ぶ手押し車。

            写真5:戸板を拠出して仮設橋を作る「人橋」。

 

済南戦役のときに、前線支援に参加したボランティアの農民工は50万人(国共内戦の3年間延べ700万人)、調達した担架1万4000台、手押し車1万8000台、食糧1億4000万kg(3年間計4億2500万kg)と回顧録に書かれている。

 

人民戦争のモデルケースとも言えるのは1948年1〜2月のこと、陳誠は野戦軍の本部が置かれた臨沂を攻めてきた際に一部の部隊で応戦したが、ある程度(5万人)の敵を殲滅したところで思い切り臨沂を明け渡した。野戦軍の主力は方向転換して北にある莱蕪の李仙洲を狙った。その時に行軍をカモフラージュするために、民兵を動員し野戦軍の主力に見せかけて、反対方向の西にある兖州を攻撃する。主力部隊はその間莱蕪まで120kmを隠密のうらに行軍しなければならない。この方向転換で粟裕が心配したのは物資の補給だった。これを可能にしたのは農民工たちであった。敵の飛行機に監視されながら、夜のうちに部隊とともに補給の弾薬や食料を遅滞なく戦場へ送り届けて莱蕪戦役の勝利を手にしたのである。この勝利は野戦軍の各縦隊だけでなく、民兵や農民工の共同作戦でなければ、不可能であった。回顧録で粟裕司令員は感動を持って書いている。

 

 

話は変わるが、2つの話題を紹介する。

写真左:手元に中国語版「把一切献給党」呉運鐸著(日本語版「すべてを党に」竹内実訳)がある。作者の自伝、新四軍の時代に淮南の工場で砲弾を作っていた記録である。のちに大連の兵器工場に移り、建新公司の工場長になった。その建新公司は1947年から日本人技術者を流用という形で大勢採用し、日本式砲弾を製造していたようだ。大連から漁船で渤海湾を渡り、山東半島の俚島まで輸送し、そのあと手押し車で淮海戦役の戦場まで運んでいたらしい(写真1参照)。工場史料の記録によると「淮海戦役は手押し車と大連の砲弾で勝利した」と粟裕が語ったという。

 

写真右:手元に中国語版「鉄道遊撃隊」知侠著がある。抗日戦争のころに山東省の鉄道沿線で神出鬼没に活躍したゲリラだが、そのあと、華東野戦軍に吸収された。国民党軍の鉄道輸送を妨害する役割が大きかった。ちなみに、遼瀋戦役では共産党軍の輸送はほとんど鉄道に頼っていた。東北野戦軍の中に鉄道を守る部隊があったが、粟裕の野戦軍では手押し車が主力だった。

 

      (次回(22)へ続く)

 

 

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