ペタしてね

見方道アドバイザーのどいしゅうです

今日数あるブログの中から、
わたしを見つけてくださった皆さん

ブログ筆者のどいしゅうについてはこちらをご覧下さい。
https://ameblo.jp/ny358/entry-12492166128.html

出会ってくださり、本当に、本当に
ありがとうございます
おねがい

そして、いつも
ブログを読んでくださっている皆さん

今日も無事に更新することが出来ました
再びここで出会えたことに、
心から、心から、感謝申し上げます

ありがとうございます
ニコニコ


ここ30日間のブログの記事ランキングを
出してみました。

見事に宇宙のことや、
神さま(瀨織津姫)のことが人気なんですねウインク

きっとアンドロメダの人々も
瀨織津姫も喜んでいるに違いありません。
わたしも嬉しいです。
本当にありがとうございますニコニコ

さて、ランキングに入った
瀨織津姫の誕生日についての記事です。

実は、記事を書いたあと反響もあり、
旧暦の3月3日に瀨織津姫の誕生日のお祝いに
皆さんで参拝に行くことにしました笑

瀨織津姫は神さまなのに、
人間(地球人)にすごく近い感覚を
持っているように感じます。

瀨織津姫は、
古くから(縄文から飛鳥まで)愛されてきた
生活には欠かせない水の神さま(地母神)

古代東アジアの影響を受け、
7世紀に中央集権が統治する国のあり方を
検討する勢力を中心に、伊勢に太陽神の女神
アマテラスを最高の神さまとして祀りました。
(内宮・正宮は太陽神は男神、月神として瀨織津姫を
祀っていましたが、今は荒祭宮に遷座しています。)

アマテラスを祀る関係で、
光と蔭の関係となってしまったのが、
瀨織津姫なのです。

わたしが頻繁に参拝している瀧川神社

伊豆國一宮の三嶋大社の元摂社で
今も大社の祭典前には瀧川神社の滝で
禊をするため神職が派遣されます。

(大社から派遣された神職や氏子。新嘗祭の前日の禊)

約2000年前に建てられたと口伝があります。
過去に放火で焼失してしまいました。

氏子から再建の呼びかけにより、
三嶋大社や神社本庁が動いたと言われています。

再建のための資材の一部は、
伊勢神宮・内宮の摂社(宇治橋の安全を祈る
饗土橋姫(あえどはしひめ)を祀る神社)の
遷宮(20年ごとに社殿を造替えて神座を遷す)
で解体する社殿の木材を再利用しました。

実は、饗土橋姫は瀨織津姫の別名だからです。

三嶋大社に祀られている祭神は
大山祇命(おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
の2柱です。
大明神(みしまだいみょうじん)と
総称されています。

日本総鎮守の神社、瀬戸内海に浮かぶ離島
大三島にある伊予國一宮・大山祇神社は
西暦594年創建され、大山積神を祀っています。
『古事記』では大山津見神、『日本書紀』では
山祇神、他に大山積神、大山罪神とも表記されます)
大山祇神社も大明神とも称されます。

三嶋大社についてはこちら

大山祇神・大山積神を祀る神社は
全国にあります。(大山祇神社、三島神社、山神社)

大山祇神社の社家は越智氏で物部氏の一族。
三嶋大社の社家・伊豆国造家の末裔を称する
矢田部氏も物部氏の一族だといわれています。

伊予國の越智郡には、大山祇命を祀る越智氏
瀬織津姫神を祀る越智氏がいたそうで、
前者は大三島を中心とする朝廷の方針に沿い
大山祇神を祀り、後者は海峡に浮かぶ島を
拠点に瀬織津姫を祀ってきたのです。
(初めは大山祇神社に両神祀られていたと考えます)

大山祇神社についてはこちら

瀬戸内海の航路で難所に、
航海の安全を祈願する神として
水の女神(瀨織津姫)祀ったと思われます。

7世紀頃までに瀬戸内海から紀伊國を通り
伊豆諸島に大山祇神と瀨織津姫を祀る奉斎団が
移り住んだと考えられます。

伊豆諸島に三宅島があります。
(式内社が12社もあることからお宮を象徴とした
島名「宮家島」とする起源説があります)

平安時代初期、来島したとされる壬生氏は、
三島大明神を奉り、大明神の代官として
集団来島し、およそ1000年にわたり三宅島の
祭政を統治してきました。

噴火を祀る富賀神社(とがじんじゃ)を作り
三島大明神(現:事代主神)と瀨織津姫を
祀りました。

そして、壬生氏をはじめとする社家は
伊豆下田・白浜海岸に三島大明神を遷します
(伊古奈比咩命神社・白濱神社は創建は不詳)
三島大明神と瀨織津姫(現:三島大明神の后神
伊古奈比命)を祀っていた可能が高いです。

37あった社家は最終的に1つ(原氏)しか
残りませんでした。

白濱神社の境内に二十六社を総括する
神明造の一殿に奉斎する社殿(末社)があり、
そこには瀬織津姫命神社が入っています。

そして、国府(こう)があった伊豆の国市の
広瀬神社へ三島大明神と瀨織津姫が遷ります。

やがて、国府が現在の三島市に移るときに
三島大明神も、現在の三嶋大社へと遷ったのです。
広瀬神社の祭神の溝樴姫(みぞくいひめ)は
事代主神の后神ですが、他の2柱は不詳です。
この2柱が大山祇神と瀨織津姫だと感じています。

その地母神が、時の勢力により
別の神さまに変えられていってしまったのです。
その無念というか寂しさは計り知れません。

旧暦3月3日(新暦3月26日)に仲間と
広瀬神社と瀧川神社に参拝に行くと決めたら、


そしたら、3月11日発表の
公式ハッシュタグランキングが5位と28位

もしやと、足し算をしたら5+28=33


3月14日に
静岡移住のため物件を探していたら
3階/3階建て/303号室
築33年の賃貸マンションが表示されました。

偶然?いえいえ
こういうことが毎日起きるから必然です。

そして、急きょ三宅島に行こうと考えました。
(三宅島にも爆笑

今年、光と蔭の関係が変わり始めます。
入れ替わるのではなく本来の形に戻っていくのです。