ペタしてね

見方道アドバイザーのどいしゅうです

今日数あるブログの中から、
わたしを見つけてくださった皆さん

出会ってくださり、本当に、本当に
ありがとうございます(*^^*)

そして、いつも
ブログを読んでくださっている皆さん

今日も無事に更新することが出来ました
再びここで出会えたことに、
心から、心から、感謝申し上げます

ありがとうございます(*^^*)


前回からの続きですニコニコ

5月30日
池川明先生のたっぷりトークに参加した後
東京から広島へ移動。

6月1日
広島・福山駅から高速バスに乗り、
しまなみ海道を走り愛媛県の大三島(離島)の
伊予國一宮・大山祇神社を目指します。

高速バスが大三島BSに着いたところで
前回は終わりました。


路線バスにさらに乗り換え、
大山祇神社にようやく到着いたしました。

離島にこんな立派な神社があるなんて
感動しました。


全国にある山祇神社(大山祇神社)、
三島神社、山神社の総本社で、
祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称され、
この大山祇神社から勧請したとする三島神社は
四国を中心に新潟県や北海道まで分布します。

山の神・海の神・戦いの神として
歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた歴史があります。

日本の初代総理大臣の伊藤博文、
山本五十六をはじめとして、政治や軍事の
第一人者たちの参拝がありました。
現在でも、海上自衛隊・海上保安庁の
幹部などの参拝があるようです。

大山祇神社の由緒です


立派な総門です


総門をくぐり抜け、
裏から見るとこんな感じです


総門の上部にありました。
美しいご紋ですねキラキラ


幹周11.1m、根周り20m、樹高約15.6m
神社境内の中央にあります。

なんと伝承で樹齢は2600年。

兵火や洪水・落雷により樹勢は衰えてますが
下枝は葉をつけています。

息を止めて3周すると願い事が叶う、
一緒に写真を撮ると長生きできるなどと
信仰があります。
(すっかり回ることを忘れていました笑)



伊予國を造ることを命じらた
小千命(おちのみこと/越智家)の
手植えとの伝承があります。


すごい存在感、


まだまだ、元気です。
イキイキとしたパワーを感じました。

写真でも伝わってきますねおねがい


初代総理大臣・伊藤博文さんも来られて、
記念植樹をされました。


社伝では、大山祇神社の鎮座する大三島は
古くは「御島(みしま)」と記され、
神の島とされていました。
※神社前のお店に神島(みしま)まんじゅうがありました。

『大三島記文』(社伝)では、
大山祇神子孫の小千命(おちのみこと)が
大三島に大山祇神を勧請したとされています。


祭神は、大山積神
(おおやまづみのかみ、おおやまつみのかみ)

別名は「和多志大神(わたしのおおかみ)」
「三島大明神」とも呼ばれています。
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)の間の子で、
磐長姫命(イワナガヒメノミコト)と
木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)の父神。

皇室の祖先といわれる大王のもとで、
大和地方の豪族らが連合し、5世紀ごろ迄に
九州から東北地方南部にいたる地域を
支配するようになりました。

この国を大和国家、政府を大和朝廷と呼び、
4世紀末には朝鮮南部の加羅(任那)に
進出して百済とむすんで、高句麗や新羅と
戦いました。

瀬戸内海という立地のうえ、
後に多くの海賊が信仰する神となり、
多くの武将が信仰する神となり、
「海の神、戦いの神」と言われるように
なりました。

日本全体を管轄し、鎮める神社され
平安の時代より日本で唯一「日本総鎮守」の
称号を与えられた神社です。
(総産土さまであり、総氏神さまです)

・・

今回、わたしが大山祇神社に
ごあいさつに来たのは、今週末に開催する

三嶋大社、大室山浅間神社、雲見浅間神社
「令和初 おかげさま詣り」のため

そもそもの発端は昨年に参拝に伺った
伊豆國一宮 三嶋大社のご神域のエネルギー
循環が停滞していたからです。
(境内にある天然記念物のキンモクセイ
南側の木は枯れ、北側の枝はエネルギーのある
水源(水神社)に向かって伸びています)

江戸時代迄の祭神は、
大山祇命とされていたのですが
幕末に事代主神説が学者の支持を得たため、
明治6年(1873年)に事代主神に改められました。

その後、大正になり再び大山祇命が再浮上し、
2柱を昭和27年(1952年)に祀りました。

三嶋大社には、大山祇神は鎮座しているものの
現在、社殿を不在にしています。
(事代主神は、遠慮されていますが居ます)

大三島から三嶋の社殿に足を運んで
いただけるよう大山祇神を説得するために
来ました。

・・

前置きが長くなりましたが.....笑

大山祇神社の拝殿に着きました。


参拝日は6月1日

到着と同時に、
一日(ついたち)祭が始まりました。
すごいタイミングですおねがい


太鼓の音で場は清められました。


巫女による神楽の振鈴で
さらに場は清められ祓われます


風が吹いてきました。


神恩感謝のご祈祷をお願いしようと
考えていましたが、思いもよらず一日祭へ
参加ができて、神さまは粋だなと感じました。

手を合わせ日本総鎮守に感謝いたしました。

本当にありがたかったです。

一日祭のあと、三嶋大社の正式参拝に
大山祇神をご同行していただくため
御札をお分けいただきました。


そして、分けていただいた御札を持ち
もう一度拝殿に戻り祝詞を奏上。

大山祇神はたいそう喜ばれていました。

御札を手に持ち裏に祀られている
大山祇神の娘神・木花開耶姫命に
ご挨拶をしました。


お社は本殿の真裏ではなく、
上手(向かって右)に少しずれて
配置されていました。


清々しい神気に満ちていました。


三嶋大社や姉神の磐長姫の祀られている
浅間神社に来てくださるようお願いをしました。

「よく来てくれましたね」

そのような感じのメッセージでした。


拝殿に戻ると、お祭りの片付け、
御守りやお札のお分け、ご朱印などで
巫女も神職も忙しくされています。

バスツアーの団体観光客も続いて来られ、
ますます忙しくされています。

三嶋大社と大山祇神社の関係など
質問したいことがたくさん、どうしよう...

「あ、社務所」

なぜか、ピン!と来て向かいました。

事務員の方が応対してくださり、
「宮司はいま来客中で不在にしています...」

来た事情をお伝えして、
わかる範囲で答えてもらおうと話をしていると
宮司さんが来客対応が終わり、玄関に出て来られます。

「(心の中)なんと!ツイてる、ラッキー
またまた最高のタイミングだー笑」

いろいろおはなしを聴きましたキラキラ

境外にある大山祇神の娘神・磐長姫の
祀られている阿奈波神社(あなばじんじゃ)の
場所を確認。

ただし、2年前に山の斜面が崩れて
道路が通行止めになっているうえ、
拝殿が土砂崩れで全壊し、危険とのこと
(本殿は幸いに無事)

境内にもしっかり祀られていることを
教えていただきました。

しかし、残念ながらまったく気を感じません。
お留守のようです。

なぜだか理由は、想像がついてきました。


通行止めのため行ける所まで行くことに。

阿奈波宮は港近くの御串山にあります。

歩いて約40分かけて移動。
海が見えてきました。



案内表示から少し歩いたら
残念ながら通行止めです。


桟橋越しに御串山にある阿奈波神社に
ごあいさつさせていただきました。

しかし、こちらのお社にも残念ながら
磐長姫の気は感じられずお留守のようでした。


御串山の串は(櫛)とも書きます。

日本では古来より、
魂の宿る頭に飾るものであることから、
自らの分身として旅立つ人に手渡す風習が
ありました。

磐長姫の魂をこの山に宿したのには
何らかの意図や理由があったのではないかと
感じました。

そして、拝殿が全壊した意味も...

わたしが静岡に注目しているのは、
わたしの感覚の(アンテナが反応する)ため
うまく伝えられません。

静岡には日本の象徴として広く知られている
富士山があり、その山体は駿河湾の海岸まで及びます。

静岡は東日本と西日本のほぼ真ん中にあります。

静岡に鎮座する総鎮守(大山祇神)や
2柱の娘神(磐長姫と木花開耶姫命)が
手を携えて力をひとつに合わせていただく事で
国家や国民(おおみたから)の安寧に繋がる
気がしてなりませんお願いキラキラ