ペタしてね

見方道アドバイザーのどいしゅうです

今日もわたしのブログを知り
読み始めることになった皆さま
はじめまして(*^^*)

ブログ筆者のどいしゅうについてはこちらをご覧下さい。

そして、今日もまたブログの更新が
あればと気にかけてくださった皆さま
ありがとうございます(*^^*)


7月7日(日)
七夕星空しずおか七夕参拝富士山
~縁のある神々を祀る神社巡り~
を開催いたしました。


前回(6月8日・9日)のおかげさま詣りは、
伊豆地方に祀られる大山祇神やその系統の 
神さま(磐長姫など)の神社に行き、
お詣りをしてきました。

その中で、瀬織津姫を祀る瀧川神社にも
伺う流れに恵まれ、富士山をご神体とする
木花之佐久夜毘売の御魂が瀬織津姫と
関係性が深いことを感じたのでした。

前回の参拝から1ヶ月も経過しない内に
次の参拝をすることになりました。

と言っても
静岡県の三島市から富士宮市までの移動
車がないと難しいです車

前回の参拝したメンバーにお声かけし、
ご協力していただくことになりました。


今回のミッションは、

富士山噴火を鎮めるために、
富士山に浅間大神を祀ったのです。
(伊勢神宮の正宮から荒祭宮に追いやった
祟りだと考え、瀬織津姫を祀りました。)

浅間大神は、「水徳」をもつ神さまで
噴火が静まったとされています。

慶長9年(1604年)に徳川家康によって
現在の社殿を造営した際に、
木花之佐久夜毘売命に祭神を変更しました。
(瀬織津姫を封印してしまいました)

※詳しくはこちらをご覧下さい

瀧川神社の瀬織津姫を、富士山本宮浅間大社と
同大社の摂社の山宮浅間神社にお連れして、
今も鎮座されているのかどうか調査することです。


前回、瀧川神社の参拝を提案して下さった
鈴木さんから、

「氏子総代さんにどいしゅうさんのことを
少しだけご紹介してあります。
もしかしたらですが、当日来てくださいます」

と事前に連絡がありました。


今回、参拝に回るのはわたしを含めて4人
内おひとりは富士山本宮浅間大社で合流です。

朝7時半、瀧川神社に到着。

到着したら知らない方が、何人もいます。
数えたら5人も!団体さんかな?

よく見るとお掃除されている方が
2人いらっしゃり素晴らしいな~と
見守っていました。

あとの3人はジョギング中に立ち寄られて
参拝をされていました。


三島駅のまわりは建物やお店がたくさん
並んでいるのですが少し外れると市街地は
山や田んぼが拡がっています。

瀧川神社の横に流れる山田川も瀧も
箱根山からの水です。


田んぼには小さなカエルさんがたくさんカエル


今日もステキな気で満ちあふれていますキラキラ

お社にもご挨拶しますが、
瀬織津姫はこちらに御座します。


手水舎(ちょうずや)で、
手と口を清めて二礼二拍手一礼をします。
(正式は「一拝・祈念・二拝・四拍手・一拝」です。)


お参りをしていると「あれ?笑」

今回参加する予定ではなかったメンバーの方が
何気なく入ってきました。

鳩が豆鉄砲食ったような表情で
「え?なぜ、どいしゅうさんがいるの?」

どうやらちゃんとメッセージが読めていなくて
七夕詣りのことを知らなかったようでした笑。

「朝目が覚めたら、7時7分で。
しかも7月7日だなとボーッと考えていたら
急に瀧川神社にお参りに行きたくなって」

瀬織津姫を通じて、呼ばれたのでしょうね照れ

他にも、瀧川神社はお参りできる
メンバーが駆けつけて下さいました。


瀧川神社の氏子総代さんが
正しい参拝方法を教えてくださいました!!

※詳しくは鈴木さんのブログをご参照下さい


氏子総代さんが「今日は七夕だからね」と
お社に笹の葉を奉奠して下さいました。

笹の葉を依り代にして、

・降神詞
・身禊大祓
・日拝祝詞(瀧川神社用に祝詞作文)
・昇神詞

祝詞を奏上させていただきました。

「あ、神さまがいる。歓迎されている」

そこにいた全員が感じることができるくらい
やさしい風が吹きました。


昇神詞を奏上してしまいましたので、
瀬織津姫は本つ御座(みくら)の
瀧に還られたので、

もう一度お願いして笹の葉の依り代に
遷っていただきました。


氏子総代さん、ここまでのメンバーに
ご挨拶をしてこちらでお別れ。

境内のお掃除をされていた方と、
七夕詣りの告知を見ずにお参りしたメンバー

急きょ2人を追加して、次の参拝先である
三嶋大社へ向かいます。


三嶋大社は、6月末の夏越しの大祓いの
茅の輪がありましたので、くぐってきました。


前回、正式参拝をして以来の参拝です。

変わっているかどうかの確認も
兼ねていますのですごく緊張しました。

瀬織津姫に遷っていただいた笹の葉も同行です。

その笹の葉で、薄黄木犀など
各所をお祓いしながら歩きました。

※前回の参拝の様子はこちらからご覧下さい。

参加して下さったメンバーに、
手を合わせる前に行うと神さまと繋がりやすい
手の組み方「印(いん)」をお伝えしました。

拝殿で、笹の葉を奉奠して、瀧川神社から
瀬織津姫をお連れしてきたことをご報告。

とってもやさしい風がまた吹きました。

そして、祈りを込めて笹の葉を揺らしたら 
笹の葉の一部がポキリと折れて、
2つに分かれてしまいました笑い泣き

三嶋大明神(大山祇神も事代主神も)
存在を感じませんでした。

その代わりに左奥に留守番役?の
やわらかい感じの存在を感じましたニコニコ

とりあえずホッとしました。


感じとしては、以前より随分良くなっています。

メンバーの一人が、落ちつきなく境内を
あちらこちらと移動していました。

七夕詣り終了後に、

三嶋大社が、あんなに変わるなんて。。。
私、あの時しばらく絶句してたんですよ(笑)
本当にありがとうございましたニコニコ

連絡をいただき、さらにホッとしました。


メンバーの中には三島市に住んでいる人が
たくさん。参拝に来たことはあれど
なかなか知られていない三嶋大社境内で
一番エネルギーが高い場所を案内。


客殿の南側にある巨木ですキラキラ


巨木の裏には明治天皇が使用された
茶室が保存されています。


そして、三嶋大社境内末社
祓所神社(通称:浦島さん)にお参りします。

瀧川神社にも瀬織津姫を祀っていますが、
こちらにも祀られています。

三嶋大社のご祭神は
三嶋大明神の大山祇神ですが、
勧請過程や時期、そもそもの本社は、
大山祇神社(愛媛県の大三島)か
三島鴨神社(大阪府高槻市)なのかは
語られていません。

大山祇神社の境内社の(十七神社の中の)
早瀬神社、三嶋鴨神社の唐崎神社はおそらく
瀬織津姫のことです。


猫がいて水辺の鯉を眺めていました。
声をかけたら足元に寄ってきて、
足に体をこすりつけてくれました猫

瀬織津姫の化身かもしれませんね笑


祓戸神社は、三嶋大社の境内ではありますが、実は飛び地にあります。


祓所神社の通称は浦島さん。

社殿は池に囲まれた島の上に建てられています。

昔、近くを流れる桜川の清流が
流れ込んでいたのだそうです。
(瀬織津姫は桜の姫と言い、瀬織津姫を祀る
お宮を桜宮と呼びました。桜のように
それはそれは美しい姫だという表現です。)

古代の祭祀である卜占(ぼくせん)による
吉凶判断を業としていた氏族である
ト部氏(うらべうじ)が住んでいた所として、
裏町・祓所町などと称されていました。

三嶋大社の境内末社ではありますが、
別の独立した氏子区域のままです。


富士火山帯に属する伊豆諸島
(大島・利島・新島・神津島・三宅島・
御蔵島・八丈島等の七島など)の噴火。

噴火により新しくできる島を司祭せられる神
として仰がれたのが三嶋大神です。
七島など神造の島々を尊んで言うことで
御島(みしま)になりました。

『三嶋大社』年表には文治3年(1187)「頼朝、三嶋社、社殿を造営す」、
翌年「頼朝、三嶋社に参詣す」とあります。

延長5年(927)の『延喜式』神名帳に、
伊豆国賀茂郡の伊豆三嶋神社と記され、
三島市のある現在地は田方郡にあたりますので
別の場所に三嶋大社があったことになります。
(どこにあったかは不明です)

当時の朝廷は、富士山の噴火と三嶋神を
関係づけて認識していて富士山には
「祟り」をなす神がいて、それを三嶋神と
みなしていたのかもしれません。

瀬織津姫を祀る祓所神社
その池に囲まれた小さな島も「御島」

祓所神社が先にあり、
(本来の三島神は祟り神だとしていた
瀬織津姫だったのかもしれません。

後から現在の三嶋大社が祓所神社の
東側(西側より優位)に遷ってきて、
今の三嶋大明神(大山祇神も事代主神)を
祀ったと推測します。

三島(伊豆地方)と富士山の関係
本来に奥が深いなと感じましたキョロキョロ


この後、富士山本宮浅間大社、
本宮浅間神社、村山浅間神社の参拝です。


長くなりましたので、この続きは次回にします

ありがとうございましたお願いキラキラ