はぐれメタルの書 | 此処へ来たのはそなたの魂の上昇を意味する!汝意思することを行え!!

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二元性をよく見つめられる《塲》となることを願っている記事です




運ちゃん さん

で、カレー作ったの?

おーい
そして順子じゃなくって純子やおw
そして今時の言葉を使ってるけど
いい歳だよ♪がはははーーー

ふ~みんながzeroと繋がりやすくする方法考えてみる♬

嗚呼神よ(涙)なんと順粋なるバカか(w)についたコメント



(コメントは返してない)
ーーーーーーーーーー

うん♪カレーのとろみの付け方を教えてくれたときには既に作り終えていて、食べ終えていて、鍋洗い終えてたよ。

純かぁ、「純粋」の純でよかったんだなぁ。(鼻毛が出ていたら一度見た時点で突っ込んであげろ。それがチミの本望(相手に気を使う)なのだから)。

じゅんがいい歳なのは知ってるよ❗3歳

zeroと繋がれる者はそうそういないぜ❗承知のとおり『透明(でいて反射する)な壁』が在るから。

なんせzeroを好む傾向にある者というのは『自分自身-IのMe-』を好める者だし、 大抵の者は自分を好きではない。そしてその「自分を好きではなくしている者は他人だ」と他人のせいにしている者ばかりだ。


自分を好きになるには他人へと奉仕する勇気が必要。
これがいわゆる「愛」なんだけど、愛他主義はそう居ない。とりわけ愛の意味を知る者自体が多くは存在していない。

どこを見渡しても『見返り(してあげたらしてもらえる)』のために行動している偽善者ばかりだ


そんな透明な壁ともいうべく概念を『pass-解除-』したチミは稀なのである。


チミの「みんなをzeroと繋げたい」とはすなわち「自分自身を好きにさせたい」といえるわけだが、第三の目を所有していない卑しい盲というのは発信者自身に着眼してしまうからまた厄介。

たとえば「△自分を好きになってください▽-得ようとしてください-」と発すれば「(得ようとする者は)なんでお前なんかを好きにならなくちゃなんねーんだよ!」と返す。この場合受け手側に心、『メッセージ-△▽-』は無い。

△▽に対し反応も△▽ではないから心がないと分かる。

盲ではない第三の目を所有する受け手の場合、「自分を好きになってください-zeroと繋げたい-」といわれたら正しくは「自分は好きだよ-Meを知っているよ-」と返すはずである。しかしなかなかそうはならんだろう。


つまり、透明な(反射する)壁の向こうから導くには容易ならないのだ。

ただ『分かる者同士-第三の目所有者同士-』で浸り合う行為は『原則-宇宙の摂理-』として許されていないわけではないが、我々の性格上、性質上そんな気も快く進まないだろう。


だから言い換えれば「山羊も見捨てない」となる。

そこでだ、純。山羊と接する際にダメージを受けないようにこのワザを授けよう♪


はぐれメタルの舞
(素早さ200以上)


たとえば盲目者である山羊が心ない発信を仕掛けて来るとしよう。会心の一撃である。

そんな時、『普通ならば-アナタも盲ならば-』発信者に着眼してしまい、惑わされてしまうものを、はぐれメタルならば『発信者-I-の潜在意識-Me-』に着眼して応対するために素早く回避できるのだ。


具体的にはたとえば「『愛してる(与え)』」と山羊に発した場合「くだらねー事いってねーで自分の身の回りの事に集中しろよ!(得)」と返された場合『普通ならば-アナタも盲または目が開ききっていない者ならば-』、「せっかくよかれと思って言って″あげている″のに!(求め)」となるものを、はぐれメタルならば「自分がね♪-お前がなw-」と返す事で山羊は一瞬戸惑うだろう。戸惑っている時に笑っているだけで、山羊も笑わざるを得なくなる(さらに攻撃してくる事は到底ありえない、してきたらまた返す)。

避けるわけでも逃げるわけでもなく改善する。事が後に互いによい結果となる。


足を踏まれたらただ許す(後に腹が立つ)のではなく、なに食わぬ顔で偶然を装って(山羊の皮を被って)踏み返した上で笑って「ごめんなちゃい♪」をするのである。


これが、しまんーちゅーぬーた~から~🎵

よいな❗『護られし聖なる者-闇の使い-』よ🎵


アナタ-I(純子)-にはアナタ-Me(運ちゃん)-が憑いている。そして我々-I(安田直人)/Me(zero)-も。




話には続きがあるが今日の夕方にまた話す