神=無意識の自分
先ずは、もう一度原点に帰ろうか。
ーーーーーーー
《羊と山羊の喩え》
今日2016.8.24、空から恐怖の大王が降りてきた(と仮定する)。今日があの『アルマゲドン-最後の審判-』の時である。
王は人を右と左に分ける。
そして王は右の者にいう「山羊よ。お前たちはもっとも小さな者を大切にしてこなかった。よってお前たちを地獄に連れてゆく」と。
すると
右の者(山羊)はこう応える「王よ
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
王は左の者にいう「羊よ。お前たちはもっとも小さな者を大切にしてきた。よってお前たちを天国に連れてゆく」と。
すると
左の者(羊)はこう応える「王よ
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
ーーーーーーー
『羊の意識-もっとも小さな者-』から見てとれるように、神は自分が神である事を認めない。それは何万年経っても同じである。
求めるな。求めると焼かれる。
貴様がアベマリアであろうとだ(そもそも「アベマリアは偉大」ではない。「偉大とされた」である。偉大とされたモノを偉大とするのが日本人の特徴)。
ボクはこの『王の意思-父-(宇宙の理)』に反する者(を覆す理)を見たことがない。
したがって、山羊の皮を被って生活してみるものの、どうしてもボク自身、物事が上手くいってしまう(山羊は救えない…)。
同じように、羊の皮を被る者は決して上手くいかないことを知っている。
正のサイクルと負のサイクルを父が設けているのだろう…(何とかしたい)
ボクの記事を見て、
悲しみの涙に暮れるならば、お前は山羊である。
歓びの涙に暮れるならば、お前は羊である。
得ようとして生きているか、与えようとして生きているかによって、涙の色は変わる。
ボクのトラップに引っ掛かるならば悲しむだろう。
しかし見抜けるならば笑えるだろう。
しかし笑うやつがあまりにも居なすぎる…
今の日本人って…
(爆笑)
ギャハハ🎵ばーかw
おまいら死んだ方がいいよ🎵
また、地震起こそうか?
役者を演じきれ!
高畑裕太をメディアは取り上げすぎだ。
『アナウンサー-盲目者-』は「残念です…」っていいながらその実、(『メディア-常識-』に操られて)笑っているんだぞw『給料-権力-』のために。
おまいらが残念ですw
「押すなよ!」と真剣に言って「押せ」と言っているようなもんだぞ、おまいらの行動はw
ギャハハ🎵面白いバカだなー(怒)💢
洗脳されやがってw