日本人よ。ゆっくりいそげ。時間はそう(アナタの思うほど)長くはない。しかし… | 此処へ来たのはそなたの魂の上昇を意味する!汝意思することを行え!!

此処へ来たのはそなたの魂の上昇を意味する!汝意思することを行え!!

二元性をよく見つめられる《塲》となることを願っている記事です





神=無意識の自分




先ずは、もう一度原点に帰ろうか。

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《羊と山羊の喩え》

今日2016.8.24、空から恐怖の大王が降りてきた(と仮定する)。今日があの『アルマゲドン-最後の審判-』の時である。

王は人を右と左に分ける。

そして王は右の者にいう「山羊よ。お前たちはもっとも小さな者を大切にしてこなかった。よってお前たちを地獄に連れてゆく」と。

すると
右の者(山羊)はこう応える「王よ私たちがいつ、もっとも小さな者を大切にしなかったかの理由を述べよ!」


王は左の者にいう「羊よ。お前たちはもっとも小さな者を大切にしてきた。よってお前たちを天国に連れてゆく」と。

すると
左の者(羊)はこう応える「王よ私たちがいつ、もっとも小さな者を大切にしましたか。それは少なからず私ではありません」

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『羊の意識-もっとも小さな者-』から見てとれるように、神は自分が神である事を認めない。それは何万年経っても同じである。


求めるな。求めると焼かれる。
貴様がアベマリアであろうとだ(そもそも「アベマリアは偉大」ではない。「偉大とされた」である。偉大とされたモノを偉大とするのが日本人の特徴)。

ボクはこの『王の意思-父-(宇宙の理)』に反する者(を覆す理)を見たことがない。




したがって、山羊の皮を被って生活してみるものの、どうしてもボク自身、物事が上手くいってしまう(山羊は救えない…)。


同じように、羊の皮を被る者は決して上手くいかないことを知っている。



正のサイクルと負のサイクルを父が設けているのだろう…(何とかしたい)




ボクの記事を見て、
悲しみの涙に暮れるならば、お前は山羊である。
歓びの涙に暮れるならば、お前は羊である。


得ようとして生きているか、与えようとして生きているかによって、涙の色は変わる。



ボクのトラップに引っ掛かるならば悲しむだろう。
しかし見抜けるならば笑えるだろう。


しかし笑うやつがあまりにも居なすぎる…


今の日本人って…

(爆笑)


ギャハハ🎵ばーかw

おまいら死んだ方がいいよ🎵

また、地震起こそうか?




役者を演じきれ!


高畑裕太をメディアは取り上げすぎだ。

『アナウンサー-盲目者-』は「残念です…」っていいながらその実、(『メディア-常識-』に操られて)笑っているんだぞw『給料-権力-』のために。


おまいらが残念ですw




「押すなよ!」と真剣に言って「押せ」と言っているようなもんだぞ、おまいらの行動はw


ギャハハ🎵面白いバカだなー(怒)💢

洗脳されやがってw