玉響(たまゆら) | ニューヨーク COCO KARA Diary

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ニューヨークに住む COCO KARA です。画家をしています。
日々の暮らしで体験したことや感じたことをお届けします。

COCO KARAです。

 

アメリカにいると滅多にこの言葉を聞くことはないのですが、私は”玉響(たまゆら)”という日本語が大好きです。

 

たまゆらとは勾玉(まがたま)と勾玉が触れ合ってかすかな響きを立てる一瞬のこと。

 

人生はたまゆらの連続ですが、私のこれまでの人生では幾つかの素敵な瞬間がありました。

 

一つは16歳の頃に初めて飼った猫との間にあった瞬間です。

その猫は太郎といい、好奇心の強いオス猫で、家の中と外を自由に出入りしていました。父母と妹と私の4人家族で、私に一番懐いており、太郎と私はいつも一緒に眠っていました。

 

それまでの私の16年間の人生で、人でも動物でも私のことを一番好きになってくれる、ということは滅多になかったので、太郎が私を家族の中で一番好きだという事実に私はちょっと戸惑いを感じていました。餌をあげるのも母のほうが多かったし。

 

それまで動物を飼ったことのなかった私は太郎への接し方もよくわからず、「動物の飼い方」という本を片手に、その本の中に”動物は人に語り掛けてもらうと喜ぶ、特に「大好き」などと言ってあげると喜ぶ”と書いてあったので、家族の誰もいない時に、「大好きだよ」と太郎に言ってみたりもしました。ちょっと照れ臭かったのだけど。

 

当時の私は家族の中でBlack sheep(ブラック・シープ)のようでした。ブラック・シープとは白い羊たちの中で一匹だけいる黒い羊、つまり変わり者とか、集団の和を乱すもの、という意味です。

 

私と父母とは考え方がかなり違っていました。大人になってもっと広い世界に出てからは私のように考える人も多くいることを知ったのだけど、まだ父母の庇護下にいた十代の私は、父母の考え方に併せないといけないことも多く、それは非常にきついことでもありました。

 

「あなたはどうしてそうなの?」と母になじられ父に怒鳴られ、だけど生活費を稼げなかった私はそんなに自分が悪いのかな?と思いつつもいつも父母に謝るのでした。私は家の中ではいつも孤独でした。

 

そんな中、太郎だけはなぜだか家に来たその日から私にべったりで、あまり動物のことを知らなかった私の目から見ても太郎が私を好きだということはわかるのでした。

 

太郎が家に来て2年目に、太郎が病気になりました。病院に連れて行ったり看病したり、色々手を尽くしましたが、太郎は日に日に弱って行きました。立ち上がるのも億劫な様子でいつもぐったりと横になっていて、私は太郎を失うかもしれないという恐怖で心がいっぱいでした。

 

たかが猫という人もいるかもしれませんが、その頃の私にとって太郎はほとんど全てでした。

 

ある日祖母が我が家に泊まりに来て、私の部屋で一緒に眠った時のこと、朝布団から起きると、祖母が「太郎がお前が寝ている間に、起きてお前の頬に頬ずりしてたよ」と言いました。

 

その瞬間、心に温かいものが流れ込みました。

 

口のきけない太郎が、病気で立ち上がることも億劫な太郎が私に頬ずりするために立ち上がってくれた。それは、何ものにも代えがたい瞬間でした。

 

今はもう太郎も祖母も生きてはいません。

 

大人になってから物書きとして生計を立てるようになり、当時の気持ちを本に書きました。その本は出版され、編集者は私に「なぜ本を書こうと思ったのですか?」と聞きました。

 

「ありがとうと言うためです」と私は答えました。

 

その後時は流れ、今の私は物書きとは全く違う職業についていて、周りにいる人々も変わりました。

 

人生には辛く感じる一瞬も嬉しく感じる一瞬もいろいろな瞬間があります。けれど、どの瞬間も素晴らしい、と今の私は思っています。

 

ではまた後程。ニコ

 

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