あっという間に8月になってしまいました。
アメリカでは、8月に入ると夏も終わりの気分になります。学校の新学期が早いところで8月中旬から始まるので、ショッピングモールなどで「新学期キャンペーン(Back to School Sale)」が始まるからです。朝夕通勤にマンハッタンのビルの谷間を歩いてると、昇る朝日、夕方の太陽の角度が変わってくのを感じ、ああ夏ももうあと少しなんだなと思います。
そんな20年ほど前の8月に私はアメリカ東海岸の街にある大学院でMBAを取るためにアメリカにやってきました。卒業して20年以上近く経ちますが、10年周期でHomecoming, MBA2007 Celebration! みたいな当時のクラスメートの同窓会みたいなのがあります。
私は、愛校心が強く、キャンパスも学校がある街も大好きで卒業後も何度か訪れています。しかしそれほどクラスメート達に愛着があるわけでもないので、10周年のホームカミング行事には行きませんでした。しかし最近、20周年のイベントが秋に開催されるという案内が来て心動かされています。と言うのも、数少ない友人だったキャサリンが実行委員に名を連ねているのです。イタリア系スイス人の夫と結婚した彼女をスイスに訪問したのが4年前。当時住んでたツェルマットから最近チューリッヒに引っ越したという話は聞いていましたが、スイスから遠く離れたアメリカの同窓会行事を手伝うとは彼女らしいバイタリティーです。キャサリン訪問のエピソードはこちら。自画自賛ですが、自分でもお気に入りの記事の一つです。義父の介護が始まってこういう旅はあまりできていません。
さて、早速キャサリンに連絡を取ったら、ホームカミングデーにはぜひ来なさいよ、と誘われたのですが、その時ある驚きの事実を知りました。それは大学院の同級生でブータン出身のソナム(仮名)氏が亡くなったと言うのです。ソナムさんはブータンの首都ティンプー出身で、留学にはどこかの財団がやってる途上国支援の奨学金で来てたと記憶しています。同級生とは言っても、実年齢は私やキャサリンより数歳歳上、優秀かつ人柄温厚な人でした。他の学生とつるむタイプではなく、ひたすら勉強してたというイメージです。
修士号取得後はブータンに帰国して、政府関係の仕事に就いていましたが、その数年後に彼からメールで結婚式の招待状が来ました。場所はブータンの首都・ティンプー。当時私はテキサスに住んでいて、たまたま彼の結婚式の前後は夏休みで日本にいる予定でした。今はどうか知りませんが、当時のブータンはブータン人の招待状がないと入国できない国でしたので、とても魅力的な招待。彼から聞いてたブータンは桃源郷で、実際、国民の幸せ指数ではいつも常連にいたと記憶しています。私と彼が親友だったとかいうわけではないんですが、交友関係がそれほど広くない彼からしたら、私は親交度合いで上位にいたのでしょうか。彼は日本の戦後復興を勉強したそうで、日本をとても尊敬していました。そんな彼がハレの日に招待してくれるとは嬉しいこと。結局行きました、ブータン。
東京からティンプーまでの航空券は自分持ちで、現地での車や宿泊、食事から全て彼サイド持ち。ビジネススクール関係者は、私ともう1人インド人の2人。同級生10人招待したそうで、私がはるばるアメリカから出向いたことにとても感謝してくれました。キャサリンも招待されていたようですが、彼女は来られませんでした。面白いことにインド人がたくさん招待されていました。ブータンのエリートはインドで高等教育を受ける人が多いとかで、ソナムさんもデリーの大学に行き、その時の同級生たちとのことでした。
当時の写真も探せばあるんだろうけど、旧型のデジカメで撮って古いパソコンに入っているのでちょっと探せませんでした。でも鮮明に覚えています。とても牧歌的な結婚式。衣装はブータンの民族衣装である「ゴー」という厚手の着物風。新郎新婦は煌びやかな刺繍や装飾がたくさんついたゴーを着てました。一応、イメージということで、ブータン国王の結婚式に写真を載せておきます。ソナムさんもこういう系の顔でした。奥さんも王妃のような系統の美女。ブータン人は基本的に男女とも凛々しく精悍で涼しげな顔をしています。
ブータン国王と王妃。国民からとても尊敬されています
私は一応スーツ持って行きましたが、野外のパーティで、何だか浮いてしまっていたので、ソナムさんの家族が、ゴーを貸してくれてその後滞在中ずっと着てました。ティンプーは盆地にあって1日の寒暖差が激しいので、懐で調節できるゴーはなるほど、現地の気候にあった服装だとすっかり気に入ったら、それあげる、と言われて日本に持ち帰ってきました。ブータン人と日本人が似ているので、ゴー着てた私は見た目では完全に現地に同化して、ゴーでいればどこに行ってもブータン語で話しかけられました。結婚式に来てたような人たちはソナムさんのエリート仲間なので、私がブータン人でないと知るとすぐに英語に切り替えてました。皆親切で、本当にあたたかい人たちだなと思いました。それと、結婚式場(ソナムさんの家族の所有地?)にも街中にも子供がたくさんいて、みんな愛くるしくて可愛い顔してた記憶があります。そして、男鑑賞目線で言うと、ゴーで着膨れしてるせいか、ゴツい人が多かったです。皆無骨で凛々しく、打ち解けると笑顔が素敵な、そんな男が多かったです。
精悍で男らしい人が多かった(イメージ)
若い子達も擦れてなくてピュアな感じでした(イメージ)
ソナムさんは日本など先進国から資金援助を受ける仕事を担当していたとかで、結婚式には現地の日本大使館やJICA職員などの日本人が来てました。ゴーを着てた私を当然ブータン人だと思ってて、私が日本語で話しはじめたら、びっくりして「日本語上手ですね、どこで習ったんですか?」的な質問攻めに合いました。途上国に行くと、インフラ開発や経済援助に勤しむ日本人男に混じって、大抵途上国大好き日本女子がいて、NGOとか国連援助機関に所属してたり、現地の人に日本語教えてたりするんですが、ここブータンでもそんな日本女子に遭遇。私にやたらゆっくりと日本語で話しかけてきて、この子、本気で私をブータン人と思ってる?もしかして惚れられた?なんて思ったのが懐かしいです。なんとなくウザくなって距離を置きました。
さて、結婚式の主役のソナムさんは多忙で、ゆっくりサシで話す機会はありませんでしたが、官僚らしい采配で、客人が心地よく過ごすことができるように配慮してくれてました。合計6日間滞在でしたが、ソナムさんの兄弟たちが毎日お世話してくれて、ティンプーから離れた場所へもかなり遠出もしました。移動はインドから輸入したスズキの軽自動車でした。一応外国人旅行許可証を持っていましたが、ゴーを着て旅行してたので、一度も確認されませんでした。一度ソナムさんの兄弟が、私ともう1人のクラスメートのインド人を乗せて有名な寺院のある村にドライブに出た時、検問所のようなところで、警察に止められました。外国人を車に載せているということで、証明書を見せていましたが、何かもめているように見えましたが、あとで聞いたら、許可書には2人の外国人(私とクラスメートのインド人)となっているが、車にはインド人1人しか乗っていないのではないかと言われたそうです。警察官は私を現地人だと思ったのです。そのくらい日本人とブータン人は似てるということです。結局、私を確認しに車の中まで来たあの時の警察官、私の顔をまじまじと見て「してやられた〜」みたいな表情の笑顔が懐かしいです。
来客をもてなす時のコース料理(イメージ)
唯一困ったのは食べ物。ブータンでは全ての料理が激辛香辛料と濃厚な乳製品で成り立っていると言っても過言ではないくらい、どの料理にも唐辛子とバターなどが入っています。見た目や匂いは食欲をそそります。でも食べ始めると、数分で汗だくになって舌がヒリヒリ。一度、ピーマンとパプリカのクリームスープだと思って食べたのが、溶けたバターの海に青・赤唐辛子が浮いているという、とんでもない料理でした。辛さで咳き込み、脳天を突き抜けるような衝撃に見舞われました。
毎食こんな感じですから、旅の後半はお腹を壊してしまいました。一日食事を抜いて、その後滞在中ずっとご飯だけで過ごしていました。ご飯は、紫色のお米をふっくらと炊いたもので、もっちりした食感が良かったです。毎回食事は取り分けスタイルでしたので、ソナムさんのご家族にいらぬ心配をかけぬよう、超絶激辛料理を食べてるふりはできました。一部の中華圏のように直箸スタイルではなく、どの料理にも取り分け用のスプーンやお玉が準備してありました。基本的に、どこも衛生的だったと思います。
ちなみに、帰りの飛行機の乗り換え地・バンコクに一泊して、夕食にグリーンカレーを食べましたが、そのグリーンカレーが甘く感じるくらい、ブータン料理の辛さは強烈でした。
コーンクリームシチューのように見えたが、、
この紫色のご飯だけで数日生き延びました。上にかかっているホワイトソースも具は全て唐辛子系だと思います
その後、日本で休暇の残りを過ごし、アメリカに戻ってソナムさんにお礼のメールを書いたのが、彼とのやりとりの最後です。結婚式後でたくさんお祝いのメールが来てただろうから、返事が来なかったこと自体は気にしてはいませんが、しばらくしてフォローアップすれば良かったかなとは思います。
遠い昔のような出来事。実際にブータンに行った思い出なのに、なぜか昔観た映画を回顧するような不思議な感じです。このブログ記事を書きつつ、キャサリンからソナムさんがお亡くなりになった情報などアップデートが入ってきているので、ソナムさんとの思い出の続きは次回に続きます。