死ネタ表記の是非について考えてみた

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先日、死ネタは注意書きを予め表記した方が良いのか、しない方がよいのかが話題になっていた。

 

死ネタを読むのが割と好きな私個人の気持ちとしては、腐向け作品に腐向けとタグ付けするのと同じ感覚でつけられているもの(検索で探せるし、また苦手な人は避けられるし)だと思っていたので、論争が起こるほどの事かと不思議に感じる。しかし、死ネタを書く側の人々にとっては、どうやら違うらしい。

 

本当は付けたくないのに、自衛の為につけているのだと。こうるさい連中との揉め事が面倒だからつけてるだけで、死ネタとはキャラが唐突に死ぬのが醍醐味だから、本当はつけたら意味が無いんだと。そう感じている人も沢山いるのだそうです。そして、その(予期せぬ唐突な死という)醍醐味を好む人も沢山いると。

それは確かに正しいのかもしれないな、と思う。物語を書くうえで欠かせない、美学のようなものは作者の方それぞれに必ずあるはずだから。

 

それでも、これは一次創作(完全オリジナル)か二次創作(公式が存在する)かによると思う。一次の場合は作る人こそが全知全能の創造神なので気にする必要は全く無いけれど、二次でしかも公式では存命のキャラだと意見が分かれるかもしれない。

 

つけたらネタバレになって意味が無いからつけないよ!と考える人も、例えばオバケ屋敷の表記が無い催しものに興味本位で入って唐突に恐怖の連続に遭遇したら、少なからずショックを受けると思うんです。「オバケ屋敷って書いてよ」と。

 

また、何の表記も無く、普通の一般向けファンアートと思って読んだらR18のがっつり腐向けエロだったりしたら?血しぶきMAXのリョナだったりしたら?違和感はあるよね。

 

これらの温度差は創作に限ったことじゃなく、私が自分の好きなホラー画像やグロ画像をプロフィールに明記もせず記事で前置きもせず、要は”何の注意も無く”バシバシ上げ出したら「こいつ無神経だな」と思う人と「クールだぜ。俺は得体の知れないドキドキを待ってたんだ」と思う人で両極端に割れると思うのですけれど、社会的には前者の方が圧倒的に良識があるんですよ。後者がいくらこのやり方が好きだと叫ぼうが。

 

なので、二次創作で「公式では生きてる」キャラの死ネタに頑なに死ネタ表記を入れたくない人は、腐向け作品に腐向け表記せずグロ作品にグロ表記せずリョナ作品にリョナ表記しない人と本質的には同類だと思う。

 

一次創作はまっさらな状態で読むものだけど、二次創作は基本的には最低限の情報が分かった上で選ぶものなんだよね。だからこそジャンルの表記や腐向け表記、カプ表記とか色々するわけで。見る側も地雷を自分で弾く努力をするわけで。その安心感は、ないよりはあった方が親切かもしれない。(決して「べき論」ではないです

 

好きな人の事も考えろ!!は正しい。創作だもの。好きなように出来れば一番よい。そのほうが素敵なものが作れるはずだから。

ただ、おそらく読み手にも普段から苦手なものを弾く努力をしている人は多いと思われます。オバケ屋敷苦手な人が遊園地でオバケ屋敷を避けるように。つまり、分かって入っておいて文句を言うな!!と言えるのは、分かるようにしていた場合だけなんですよ。

 

というわけで、読み手にリスクを丸投げすることにもまた別のリスクがあるという事は、知っておいたほうがよい気もいたします。腐向けやエログロ・死ネタなどの表記に関しては、前述したような「こうるさい連中との諍いを回避するための注意書き」と考えるか「『お互い』のセーフティな領域に踏み込まないための平和的なお知らせ看板」と考えるかは、ものはいいよう考えようという事なのかな、と。私は後者の考え方が出来る人の方がより素敵だなと感じますが、こればかりは価値観の押し付けにならないようにしないとね。

 

・・・と、「自由」の意味を、色々と考えてみた日でした(*^ω^*)