さてさて、盲目な私たちは、自分を通してしか触れることも感じることもできない
その不便さを誰もが持っている訳だ
・・外からの刺激を自分で感じとる
そして、やっとこさ、その意味を理解できるって訳だ
これが、誰にも平等にある道筋なのかもしれない ここを偽ることはできないだろうから
立場の違いは、違ったわずらわしさを手に入れることになるだけなのだ
なので、自分の位置からの幸福観をより多彩な色合いに、より深い色彩に広げて深めることが、一番なのではないのだろうか
そして、いっしょに分かち合い、その笑顔と表情を傍で感じとれる そんなものが、きっと前に進むためのモチベーションになっていく
そうして、広く深くを求めていくために地図を広げる訳なのだ
そして、その未来を想像させるために行うのが、地図のフォーマットだろう
地図の素材や色合い、質感に縮尺 ・・・どんな地図が良いかは自分次第で、どんなものにも変えられる
自分を通して、その未来を計れるって訳だ
そのために「無知の知」からはじめるとしよう
この感覚は、すごいスキルになっていく
「ほんとう」をもとめるためのモチベーションにちかいものにもなる
さて、まずは、自分を知ってみることに・・
ココロのテーマで書いてきた、ぬうブログ記事の中にはかいつまんで触れてきたものがいくつかあるから、興味があれば、折を見て読み返してみても、よかんべなぁ・・・
さて、ここから、やっかいになってくるのは、これまで記してきた地図
「利害関係のない第三者的な立場で見る」ことが必要になってくるから、自分本位が顔を出してしまうと何も見えなくなってしまって、見えてないものが、本当なものになってしまうからだ
それを通り越して、まっしろな自分にたどりつくまで、はたして見つめることができるのだろうか・・・
もうひとつ追記してみると
自分が普段 右か 左か どちらの目で見ているか意識したことがあるだろうか
所謂、効き目って訳だ
片目ずつ、見比べてみると、見える世界が違っていることに気がつくけれど、効き目でない方での視界は、なんだか違和感があるように感じる
利き手を、違う手に変えるのが大変なように、利き目ではない方の世界になれるのは骨が折れる訳だけれど、これは、例えば、まったく経験のない感覚を身につけるために、もがいて身につく期間が、人によるが、だいたい一ヶ月から一ヵ月半ってところらしいのだ
つまり、できあがったものが邪魔をしてくることを考えると、自分を見つめなおしていくには、それなりに時間がかかってしまう
どれだけかければ、まっすぐ見られるかは、その人次第になってくる
ただ、時間がかかるのは、このはじめだけ あとは、その感覚から広げられる訳だから、
まずは、そこの尺度を感覚として身につけられれば、フォーマットの完成ってところだろう
自分で、触れて考えて、わかる 繰り返しなのは、ずっと変わらないのかもしれない
でも、見えている未来が、明るければ、足取りもかるくなる
そう、求めれば続いていくのだ 欲深い諸君 求め続けるしかないっしょ・・・