ただの白紙が地図へとフォーマットされるために@ココ色 | ぬうさんは、のんきがお好き

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熱帯魚、ネコ またに植物に アニメ etc なブログです

  野菜が駄目なぬうなのだけれど、最近、奇跡が起きて、口にしたレタスを一皿たべちゃったということが起きてしまった
 何が作用したのか、今年は無農薬の野菜づくりをググりながら、まとめられたものに手をつけはじめた矢先のできごと、自家採りの無農薬なレタスだった・・・どれだけ貧相な味の野菜を当たり前とおもっていたのかと、手を出してみなかったことに目から鱗状態になっていた(ガーデニングのことは、別のテーマで書くことにして ・・)

 知ってしまって、はじめて実感できる こんなことは、どれだけあるだろうか・・・

 目にしているのに、わかっていないことは ?

 思い返してみると ・・・ ・・・・   ・・

 こんなに盲目な僕たちだから、迷ったり、はまり込んだり、抜け出すのに、時間がかかることだって当たり前に起きるのは、至極当然なことなのだ

 さて、いま出来上がってしまった地図を、もう一歩、もう一ミリ広げようと、フォーマットを作れるかどうかも、これまた、すごく大変なことになってしまうのも当然なことになる

 かつて、地球は平らだったと思われていたように・・それをフォーマットし直すことも
哲学者ソクラテスの言葉を借りれば・・無知の知を自覚してはじめて、知ろうとすることができる
 もうひとつ、言い換えれば・・・知らないからこそ知る喜びがある

 どうにも、こうにも手を伸ばして触れようとできないでいる それも無知の知から、はじめられないものだろうか

 では、知らないことを知るためには、どうすればいいのだろう・・・

 「知らない」 を 「知る」

 僕たちは、どれだけのことに触れられているだろう

 僕は、勝ち組って威勢よく言い放った彼は、どれだけのことを経験しているだろうか

 ほんとに、ほんの少ししか触れていないのだ

  結局のところ、自分で触れてみないと、「知らない」ことを知ることはできない

 今、作った地図の中で、触れられることはないだろうか・・・

 すこしの皺を、ずずっと伸ばしてみる感じのことは・・

 固まりかけた、ココロにすこしずつ触れていくこと  知ろうとすることは自分にしかできない

 ほんのすこし知ろうとするだけで、見えてくるものは多い

 まず、ココロが病に位置づけられる指針は、日常生活にどれだけ支障があるかというところにつきる 食、睡眠、・・・それは、原因が推測できることなのか つまり、先天的なものか、後天的なものか・・これを知ることから、アプローチが変わってくる

 自分という存在が、喜びに満ちた未来のあることを知るために、築くために、この「知らない」ということを知ってみるといい

 診療内科ってところも、そこで処方される薬も、そのために使われなけれど、何の意味もないものになる
 無意味な藪は切り捨てればいいし、処方は、いっぱい話して知恵を借りて自分でレイアウトすればいい

 二ヶ月以上、改善されない状態なら、自分で動かないと、藪は何もしてはくれないのだから・・君のことを馬鹿にしてるんだよ
 だから、話を聞かない  状態を問診しないで、世間話を垂れ流してはいないかな

 冷淡な表情を感じとっていないかな ・・・ 自分で知ること  みんなが、そんなに知ってるわけじゃないことを、自分で知ることは、すこし踏み出してみるだけで、できるかもしれない