ルーティンワークに陥って灰色になりかけている日々も、今見ている地図をすこし広げると、まだまだ、まっしろな地図が広がっている このことに気づける瞬間を、望める自分と出会うだけで・・
それとも何かのきっかけで、地図を広げられないでいる ・・時には、そんな日々もある
考える 触れる 感じる 真似をしたり、比べたりしながら、触れてみて 感じる
いつでも、広げられるはずの地図は、繰り返される作業の中で、いつのまにか硬くなってしまって、広がらないままになっている
情報が乱雑に氾濫している毎日で、情報だけが先走り、ある時から、その動きは鈍らせてしまっている・・・ますますもって、触れること、知ろうとすることから遠ざかしまっている
心の中は、他人が入れない場所だから、自分で開拓していくしか道はない
だからと言って、たったひとりだけでは、どうにも迷いすぎてしまうのだ
それはそれは、とんでもないところにまで・・
硬くなった地図の端を、ひとつひとつ広げる準備をしてみよう
そこにいるということ自体が、存在をしたいという意思でもあるのだから、広げられるはずの地図で、先を見てからでも、そんなに遅くはない
いずれは、土になってしまう身だ
絡まった糸を解くように、今の自分から、入り組んだルートをたどるようにして 根っこの、そのまた根っこまで、たどってみることにしよう
案外、情報に踊らされて、何も自分でやってなかったり、できない自分を見ないふりしていたり、見ようとしないでいることは、いっぱいなのだ
地図を描き足していく準備をしていくことにする
なぜ、広げられないのだろう・・・
もし、ひとりきりと思われた自分がそうではなかったとしたら・・その答えは、今いる場所からでは、見えていないものなのかもしれない
知らないままで、いいのだろうか 知った風には、なってはいないのだろうか・・
どこまで、たどってみれば、自分ってものがわかるだろう それは、自分次第としか言いようがないが、ひとつだけ、不可避で絶対的なルールがある
これができないと、自分を見えなくしてしまうにちがいない
それは「利害関係がゼロな立場で見る」ということだけだろうと思う
紐解き方は、過去の記事でも書いてきたかもしれないので、もすこし深く書けるといいと思っている
一番は、知らない一部のものに、踊らされてはいないかということ
そのためにも、利害ゼロな目線の感覚は、自分を時々に振り返ることにも役に立つものにもなるはずだ
いま、目の前が曇って見えるのは、きっと、視界が開けていない 場所にいるからなのだろう
いろんなことに触れながら、何かが見えた時、その感覚を実感できるはず、その先には、開けた地図とマッピングができる ペンを持った自分がいるのだ