汽車:センチメンタルな音楽の旅 4/12 | /// H A I H A I S M ///

/// H A I H A I S M ///

あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。


●汽車 / EPO 1992年

ボクは鉄道が好きで、大きな一眼レフを持って車両の写真を撮り歩いたりはしないけれど、小さなカメラをカバンに入れて列車に乗り込むのは大好きだな。出来れば、機関車が牽引するタイプの列車がいい。

汽車って、もともとは蒸気機関車が牽引する一編成の列車の事を言うんだろうけれど、たとえそれが電気機関車でもディーゼル機関車でも、機関車に牽引されていれば「汽車」ってムードがある。ボク的には「汽車」だな。

そう! やっぱり電車じゃなくて、汽車じゃなくちゃ。


♪ 私たちは 永遠に 汽車に乗ってる
  私たちは 永遠の 汽車に乗ってる



当時は、何も恩恵を受けることのなかったバブル景気も終わりそうな頃で、ボクは2番目の子供も授かっていて、やみくもに自分で始めた仕事もすこし安定して来ていて、なんとなく、乗り込んだ汽車の行き先はきっと正しい場所なんだろうって思っていた。
この歌の歌詞のように、たまたま誰かと隣り合わせたり、駅での別れがあったりしながら、そしてその汽車は正しい場所にボクを運んで行ってくれるんだろうってね。

人とのつながりが感じられながらも全体的に孤独なムードが漂っている。そんなところも、この曲に共感したところなんだと思う。

「汽車」を聴くと思い出されるのは、そんな時代の、仕事場から自宅に向かう中央線の電車の中での自分だな。
扉に開けられた窓から外を眺めると、線路脇のビルの一室に残業をする人影があったり、ショウウィンドウの灯りの前を通り過ぎる家族が居たり。すると、この人たちとボクとは、今が唯一の接点だったなのかもしれないな、なんて1つの別れの様に感じたりした。

家に帰れば家族がいるのに、ある種の寂寥感がある。

孤独と憂鬱とは、きっとボクの友人なんだろうなって、そんな風に思った。

*****

あれから20年近く。
今でも列車に乗るのは好きで、そして寂寥感を感じる。列車に乗るのはちょっとだけ人生に似てないか、ってね。
さて、はたしてボクは正しい方向に向かって来たかと聞かれると、ちょっと苦しい。
ボクはきっと言い訳をするな。

いやボクは今、乗り換え駅で次の列車を待っているところなんですよ。とね。


ブログランキング・にほんブログ村へ  click me!