ワンコにとって嗅覚は、人間にとっての視覚に匹敵するくらい大切な感覚なんだよなって思うけれど、家のかえではもうあまり鼻が利かないみたい。お椀からこぼれたエサがどこにいっちゃったのか分からずに、クンクンと嗅いではみるものの諦めてしまうことが多くなった。
嗅覚は五感の中で一番「動物的」な感覚で、だから記憶だとか情動だとかにダイレクトに強く結びつくことがあるんだってボクは思っていた。ある特定の臭いを嗅いだとたんに、以前その臭いを嗅いだ時の情景が溢れ出してくるような経験を、若い頃は何度もした。
でもそういう経験が年々少なくなって来ている。なんだ、かえでと一緒なんだ。
ブログ更新をさぼっていた9月から10月にかけての1ヶ月、去年の秋くらいからじわじわと変わりだしたボクの人生に対する考え方が、とうとう後戻りできないくらいに変わってしまったなって実感しながら、iTunes に入ってる曲を聴いてた。
すると、その曲を聴いてたころいろんな出来事が思い出されたんだよ。好きで聴いていた曲全部が全部じゃないけれど、不思議と記憶と強く結びついている曲があったんだ。
聴覚だって年々確実に劣化していて、息子や娘とモスキート音がどこまで聞こえるか対決してみてガッカリしたりもしたけれど、でも今では鼻に代わって耳の方が、記憶を呼び覚ます力を持っているみたいだね。
そんなこんなで、20代の情景、30代の情景がよみがえって来る、気になる日本の12曲を選んでみた。
ちょっとセンチメンタルな音楽の旅、おつきあいくださいませ。
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●ディビ・ドゥビ・ダー / 小島麻由美 1995年
小島麻由美の、どことなく投げやりな鼻にかかった歌声と、周りの世界に対するちょっと醒めた感受性と、それでも若い女性の瑞々しさが、ボクはスキだな。
ボクがこの曲で思い出す情景は、渋谷のスペイン坂を下りきったあたりの雑踏なんだ。
何が理由だったのかはもう忘れてしまったけれど、ボクはかなり凹んだ気分でいて、自分の気持ちを整理するためにただただウロウロと歩いていたんだと思う。
そう、ボクは時々そういうことをする。どうしようもなくなると歩く。この頃もうこの習慣を身につけていたってことなんだ。
その時、どこかの店から小島麻由美の曲が流れていて、
♪ 大きな犬が 踏切で ドロンと 死んでた
あぁ あんまりで もらい泣き しそうだよ
この歌詞を聴いただけでボクももらい泣きしそうだったよ。
そして今でもこの曲を聴くとこの情景が思い出されて、理由も思い出せないその時の悲しい気分だけがよみがえって来るんだな。
