あぁ、セバスチャン。人間の喜びと苦しみは、どうしてこうも表裏一体なのかね。
----- ほほぉ、喜びと苦しみでございますか。 気になるご婦人がいらっしゃるとかですかね。
ちがうよ、セバスチャン。そんな事じゃない。セバスチャンだって、ボクがもうそんなに子供じゃないことを、分かっているだろうに。
----- そうでございますよね。最近は、メイドの尻を追い回すことも、以前よりずっと少なくなくなりましたな。
まぁな。
----- では、いったいどうなさったのですか?
ほら、ボクがここ数週間、いろいろと考え込んでいたこと、セバスチャンも気づいていただろ?
----- もちろんですとも。気がついておりました。
新しい仕事を始めたいと思っているんだ。
----- チャリティーのキツネ狩りも、立派な仕事でございますよ。
まぁ、それもそうだろう。周りの人間は、立派に社会に役立つ仕事なんだって慰めれくれるからな。
でも、どうしても今までのキャリアでは満足できなくなったんだよ。
----- そういうものですかね。
私なぞは、このお屋敷の執事として一生を終えても、なにも悔いは残らないと思っているのでございますよ。
そう言ってもらえると、私はホッとするよ。
----- で、旦那様は、いったいどんな仕事をされるのですか?
分かってもらえるかな... まず、旅をする。
----- おや、ご旅行がお仕事ですか。ツアーコンダクターでもなさるとか? 気を遣うお仕事ですよ。旦那様にはちょっと荷が重いかと。
からかうなよ、セバスチャン。私は真剣なんだ。
----- これは、失礼いたしました。旅をされて、その後は... 美味しいものを食べる。
ちがうよ。旅をして、絵を探す。
----- なるほど、絵を。
そして、店を出す。
----- ほほぉ。街の小さなフレンチ・レストラン。名前は「Chez Bourbon」とかですかね。
パリのお母様の味で出されれば、きっと皆さん喜ばれます。
お前は、またからかう。レストランじゃないんだ。ギャラリーなんだ。
----- ギャラリーですか。旦那様、画商になりたいのでしたら、実家のお屋敷にある、ドガや、シャガールや、ミロの絵を、お店に飾ればよろしいではないですか。何も絵を探しに、ご旅行されなくても。
そういう、大富豪や美術館相手の仕事をしようと思ってるんじゃないんだ。
世の中には、うっかりすると捨てられてしまうような、なんでもない印刷物がとても美しいものだったりするんだ。それを探したいと思ってるんだよ。
----- おやまぁ。
そして、探し当てたものを、店に置きたいんだよ。
----- あれまぁ。
そして、そこに至るまでの過程を本にする。
----- 旦那様、いままでのお仕事はどうされるんですか?
今までの仕事か? キツネ狩りのことか? 名前だけの名誉理事職か? それとも、私が身分を隠してこの社会でやってる仕事か? そんなものは、私が居なくても、だれかがやれば済むものだろ?
----- そうでございますか。
ですがね、その人がいなければ成り立たない仕事なんてものは、そうそうあるものではないのでございますよ。
わたくしの仕事だって、旦那様みたいな考え方をすれば、他の誰にでもできる仕事。
セバスチャン。何を言うんだ。セバスチャンはこの家にとって、なくてはならない人間ではないか。そんな言い方をするなよ。悲しくなる。
----- 旦那様。同じでございますよ。
あなたは、ブルボン家の末裔としての仕事をこなされ、家族からも、メイドたちからも、愛されているではございませんか。かけがえのない人間だと思われているではないですか。
これ以上、旦那さまでなくてはできない仕事を探したいだなんて、そういうのは、もっと若い、社会に出たての青年の言うことです。
厳しいな、セバスチャンは。いい歳になりながら、子供っぽいと思ってるんだろ?
もちろん私だって、本当の意味でこの社会に不可欠の、かけがえのない特別な人物になろうなんて、思っているわけじゃないんだ。そういうのは、才能と運に恵まれた上に努力を重ねた特別な人に対する、神様からのご褒美だからな。
でも、いままで自分のしてきたことが、あまりに不本意だと思うようになってね。
----- おや、それはまた、どうして。
私が、ブルボン家の人間であることを隠してまでしてきた仕事は... まぁ、いい。繰り言になってしまうからな。
とにかく、私はもう一度人生をかけて仕事をしたい。そう思ってるんだよ。
----- そうですか、旦那様がそうお考えになるならば、そうされればいいと思います。セバスチャンは、いつでも旦那様を応援しておりますとも。
ありがとう。君にそう言ってもらえると、勇気がでるよ。
早速今夜のフライトでバンコクに行ってくるよ。留守の間の事、よろしく頼むよ、セバスチャン。
