一日の花を摘め(うだうだ編) | /// H A I H A I S M ///

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あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。

一日の花を摘め(エピソード編) ●ここ の関連記事です。

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何かを失ったわけではないのに、寂寞とした悲しみがある。
どこが欠けているかに気付かないまま、喪失感に苛まされる。

それは、不確かで捉えどころがないくせに「しっかり」とボクの胸の中に巣食う感情なのだ。
いやうすうすは感づいているんだよ。それは、充足感や達成感の欠如の事だってね。


去年の初めに、人生は彫刻に似てるって書いた。 ●ここ

ミケランジェロの言葉、
わたしは叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」を引用して、
人生はまだ実現されずに切り出されるのを待っている形を切り出す作業なんだと。
その作業のためには、適度な切れ味の道具を使うことが大切なんだと。
適度な切れ味の道具とそれを使う知恵を持っているのが、いい男なんだと。

言いたかったのは、
人それぞれ、自分の人生を望みの形に作りたいという願望はあるとしても、
実際の人生は、大きな「なりゆき」に任せるべき部分がある。
そしてそれに逆らうのは賢明でないってこと。

ボクのこの「なりゆき」に対する信頼は、子供っぽい楽観主義だったのではないかと時々くじける事があるんだ。
ボクの人生は自分の考えに従って刻み続けられ、もうおおむねの形は姿を現し始めているのだけれど、
それはボクの目の前にあまり美しい形としては現れてきていない。
なんでだろう。

ボクが適度な切れ味だと思っていた道具は、なまくら過ぎたんだろうか。
それとも自分で気付かないまま、切れすぎる道具の勢いにまかせて来たのだろうか。
ボクにはまだ、そのあたりが分からない。

無様で荒削りで出来そこないの形の中に、ボクは自分の道具選びの拙さや努力の的外れさを知り、
つまり自分がいい男じゃなかった事を知り、
無様な石の塊のわずかな部分に、ほんの少しだけ美しい姿を見せているところを見つけては、
人生をめぐる「なりゆき」が自分にさほど好意的ではなかったと気付くのだ。

そして、愕然とする。
つまりボクは、自分がミケランジェロじゃなかったことを嘆いているってワケだ。
我ながら滑稽だな。そんなことは当然なのにね。だって彼は、ルネッサンスの天才なんだ。

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メメント・モリ(Memento mori)とは、ラテン語で「死を想え」。
高校生の時、世界史の授業だったか倫理社会の授業だったかで覚えた言葉。

自分がかならず死を迎える存在であることを、意識しろという意味なのだ。

キリスト教ではこれを、現世での楽しみや贅沢がむなしいものであることを意味すると解して、
現世を道徳的に生きることによって、来世での魂の救済を望むべきだと解釈されてきたらしい。
現世を「今」、来世を「将来」と読み替えるとまるでボクの解釈のようだってびっくりする。

古代ローマ時代にはこれと逆の理解がされていたらしいということを、最近知った。
Memento mori は、Carpe diem(一日の花を摘め=今を楽しめ)という言葉と対になっていて、
「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬかも知れないのだから」という箴言であったのだ。

いや、単に毎日を面白おかしく、享楽的に過ごせと言っているのではないと思うよ。
充足感を先送りにして日々を軽視する生き方からは、充足感は得られないってことだよね、きっと。

もっと早く、気付いておくんだった!

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Carpe diem が出てくるホラティウスの『詩集』第1巻第11歌はこんな感じ。

Tu ne quaesieris, scire nefas, quem mihi, quem tibi
finem di dederint, Leuconoe, nec Babylonios
temptaris numeros. ut melius quicquid erit pati,
seu pluris hiemes seu tribuit Iuppiter ultimam,
quae nunc oppositis debilitat pumicibus mare
Tyrrhenum: sapias, vina liques et spatio brevi
spem longam reseces. dum loquimur, fugerit invida
aetas: carpe diem, quam minimum credula postero.


ボクはラテン語が出来ないのだけど、
いろんな人の訳を見ながら最後の2行をボクなりにちょっと手を加えるとこんな感じ。

今日一日の花を摘みとることだ。
明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから。



$///   H A I H A I S M   ///-Carpe diem
↑ パリの街で見つけた「カフェ カルペ・ディエム」
  好みの女性がタバコを吸いながらボクを待っていることはなかったけど


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