
自分の人生に、いまひとつ満足してないから...
なのかもしれないんだけどね。
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人生には、
まさに生きてる人生と、生きることのできなかった人生とがあるんだって、思ってる。
人生の岐路で、何かを選んだ結果の今の人生と、
そうじゃない選択肢を選んだ場合の人生、実際には生きることの出来なかった人生とがね。
そして、この2つの人生の両方、
現実に存在している自分の人生と、可能性として存在したかもしれない自分の人生との両方を合せたものが、
その人の人生なんだって、思ってる。
変?
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上手く言えているかな... ちょっと言い換えてみると...
自分が得たこと、成したことを評価するためには、
そのために自分が失ったものも正しく評価する必要があるんだって思う。
ボクは、可能性として存在したかもしれない自分に対して、
きちんとした評価が下せていないなって、いつも感じている。
得たことと失ったことをちゃんと評価した上で、
その得失については甘んじて受け入れること。
それが、自分のした選択に対して覚悟を持つってことなんだろうな、ってね。
でも、これにけっこう困難を感じているんだな。ボクは。
あきらめが悪いってこと?
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もしボクに分身がいたら...
彼には、ボクが選ばなかった方の人生を歩ませてあげたい。
単純に現実のボクと反対の人生ってことじゃないよ。
選択を迫られた時、
もうすこしの経験と、知識と、判断力と、勇気があったら、選んだかもしれない方の人生のこと。
きっと、その彼には生活感がなくて、カスミを喰って生きてるように飄々としていて、
自分の出来る以上のことはしようとしないから、責任感に押しつぶされることはない。
自分が欲するもの以上を得ようとしないから、人生に恬淡としてるように見える。
酒を飲んで、踊って、女の子と遊んで、そして一日の最後に感謝をささげて眠りにつく。
そんな生活だから、彼はたぶん今も結婚してないだろうな。だから子供もいない。
もしボクの分身に才能があるのなら...
彼には、その才能を十分に発揮できる場を与えてあげたい。
そしてその才能は、世間に使い捨てられて、自分が磨り減ってしまうような才能じゃなくて、
自分の生活の質と、友人達との楽しみの質とを、ゆっくりと、でもずっと長い間、高めることのできるような、
十分に成熟した才能であって欲しい。
もしボクの生きなかった人生を生きている分身がいたら...
彼がどう感じているのか、話を聞いてみたい。
ボクは彼のことをうらやましく思うのだろうか?
むしろ、彼にうらやましがられるのだろうか?
家族が居ないなんて今のボクには考えることもできないけど、
彼はどう思うのかな。
ボクは、世間に若干の距離を置いて飄々と暮らす彼は、
ボクよりも、強い意志の力で人生を選択したんじゃないかって思う。
この意見に、彼は賛成するだろうか。
彼は彼で、自分の選択に対して一抹の悔悟の念を感じているのだろうか。
そんなことを、ゆっくりと聞いてみたい。
彼と話すことで、
はじめて自分の人生を評価することができるような気がする。
