石田純一には何の興味もないし(というか、それ以下)、
ゴルフを見ないので、東尾理子にも興味がないし(これはニュートラルな意味で)、
だから、彼らの歳の差とか、婚約とかは、本当はどうでも良いことなんだ~
芸能人の私生活が番組として切り売りされていることにも、
特別、異を唱えるつもりもないよ。
でも、
自分の娘がプロポーズされる瞬間が、商品としてTVで放送されているのって、
ボクが親だったら苦々しく思うだろうな。
ただそう思っただけ。
で、そう思ったら、昔書いてお蔵入りになってた記事のことを思い出しちゃった。
酒、飲みながら書いた記事なんで、ちょいとくどいよ。
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たとえば、ステキなレストランで食事をしたり、
たとえば、ステキな美術館で催される展覧会に行ったり、
たとえば、ステキなホテルに泊まったり。
そのステキさは、きっと誰かが考えて用意したものだろうって、容易に気が付くよ。
デザインや、レシピや、展示のコンセプトを、考える人が必要だもの。
でも、同じように、
このステキさは、この地方独自の文化によって作られたんだなって思うことも、
意図せず、自ずとステキになったんだろうなって思うことも、
きっとある。
いや、あって欲しい。
そう思えた時には、ある特定の人の創意工夫では対抗しきれない、
文化の懐の深さに、伝統の力強さに、ボクは感動すると思うんだ。
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ところが、ボクらが生きている時代に出あう物やサービスのすべて(いや、ほとんど)には、
どこかに「仕掛け人」がいる。
人間のプロデュースする能力に対して意義を唱えるつもりもないよ。
いやむしろ、人間の素晴らしい能力だって思う。
良いプロデューサーがいなくちゃ、実現しないプロジェクトだってたくさんある。
それはわかってるつもりなんだけど、それでも、
身の回りにあって、
普通の感覚を持ってる人が美しいって思うものが、
「すべて」
誰か特定の個人の企てによるものだったとしたら、
ちょいとがっかりだ。
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ボクは、
誰かにプロデュースされてない、それでも人々の感動を与えることの出来るものを、
探し当てたいって願ってるんだって思う。
それが、ボクが放浪に憧れている理由なんだな。きっと。
