中庸 | 時空を旅する冒険〜風の章〜

時空を旅する冒険〜風の章〜

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神聖幾何学という世界から宝の羅針盤を受け取って、毎瞬変化し続ける未知なる冒険の旅へ✨


おはようございます。

冒険ライフ⭐NAO です。






昨夜、

「君だけの道をゆけ」

を、アップした後

「中庸」

という言葉を思い出しました。





私はよく、祈り

と、言う言葉を使います。

私にとっての祈りとはなにか?

と、問われたこともあり

その時は(確か、二年くらい前)

コメントしてくださった方が

強い祈り

と、表現されていて

祈りに強さも弱さもないのでは?

とゆうような意味合いで

コメントに返信させて頂きました。




祈りのイメージは

人それぞれ違うと思いますが

マイナス(に、見えるもの、捉えるもの)を

プラスに変える意図は

ないように思えます。

祈りは中庸

その言葉がしっくりきました。




昨夜アースボイス京子さんの

鎌倉での日々の話を

FBで読ませていただき

鎌倉にいる見えない存在がいても

光に還すことは意図しない

Joy のなかでただ生きる

という文章を読み

京子さんのjoy は

私が捉えている中庸だと

思ったのです。

それは祈りにも似ている。

そう感じました。







遺骨収集や

被災地や

ガマでライアー奏でたときも

見えない存在に対し

~してあげよう

助けようとか

癒そうとか

そうゆう表現はちょっと違くて。





あ、でも

だいたい、見えない存在を

観察している私が

祈る対象をうみだしているとも

捉えられるのですが。。。





それでも

やっぱりひかれる場所があって

ライアー弾かせていただくときは

その場や見えない存在に

心のなかで、語りかけ

勝手に入ることはしませんでした。



はじめての祈りの旅

ガマにひとりで入るときは

かなり躊躇しました。

光という言葉をもらって

なかに入っていきました。

あのとき、

確かに気配を感じました。

怖いとかそうゆうものはなく

私と見えない存在たちは

平等で中庸な関係で

私はただただ

ライアーを奏でていました。




もしも光に還るという

現象があるとしたら

見えない存在の

向こう側の意思で

還るのだと思ってます。

お祓いという表現も違う。

見えない存在に対し

失礼な気がします。








祈りは中庸。

私もあなたも

あらゆるものは

中庸なのかもね。










ポジティブ ネガティブ

軽い 重い

強い 弱い





どちらかに引っ張られず

中庸で、生きる。





そんな事を感じた朝でした。





私が中庸を生きたら

世界はどう変わるだろう。






中庸だね⭐





あ、そっか。

そしたら、冒険ライフから

離れていくことに繋がるんだ。






それはちょっと、つまらないな(笑)











Mahalo I