下野國三之宮 村檜神社
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村檜神社(むらひじんじゃ)
主祭神 譽田別命
配祀神 熊野大神 大山咋命
境内社 住吉神社 浅間神社 西宮神社 織姫神社
鎮座地 栃木県栃木市岩舟町小野寺4697
岩舟町指定文化財(天然記念物)「村檜神社社叢」
由緒
創建は孝徳天皇の御宇大化二年(646)と伝えられ、熊野大神、日枝大神(大山咋命)の二柱を祀り、佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬されました。
神社入口の神橋と鳥居
神橋の手前に一基だけの狛犬さん
のち平城天皇の御宇、大同二年(807)に、皆川村小野口に鎮座せる八幡宮を合祀し、主祭神としました。
鳥居の先、社叢の中を昇る参道石段
参道や境内の巨木
参道両側の杉などの社叢は樹齢千年にも及ぶと言われています。
小道や石碑と比べると、杉巨木の太さがよく分かります。
参道石段の上の割拝殿を潜ると境内になります。
境内側から見た割拝殿
村檜神社は、醍醐天皇の御宇、延喜年間(901~923)に、勅命により国内神社を調査した際にその撰に入り、延喜式内社に列せられました。
下野國三之宮として今もなお崇敬されています。
村檜神社社殿
社殿前の狛犬さん
現在の社殿は室町後期、天文二十二年(1533)の建物です。
三間社春日造屋根は檜皮葦で、室町時代後期の傑作として国の重要文化財の指定を受けています。
(「栃木県神社庁HP」より)
本殿左方の柱には、飛騨の工匠左甚五郎の作と伝えられる瓜の彫刻があります。
その昔、藤原秀郷が唐沢山に築城の際、鬼門にあたる当神社を守護神として厚く信仰しました。
天慶二年(939)平将門を叛せし時も御神徳の賜物と弓矢を奉納したと伝えられています。
(サイト「栃木市観光協会」参照)
村檜神社は、栃木市南北の中央西端に位置し、県道282号中藤岡線を、北側の佐野市との境界線から一山超えて来た所にあります。
この辺り小野寺地区の東側には三杉川が流れ、川と並行するように東北自動車道が走っています。
村檜神社に隣接する「小野寺山大慈寺」
村檜神社参道入口に隣接する「小野寺山大慈寺」には、平安時代に生きた六歌仙の一人「小野小町」が、大慈寺御本尊の薬師如来に病気平癒の祈願をしたと伝えられています。
小野寺山大慈寺の「七佛薬師堂」
薬師堂の横に「小町の碑」があります。
十二単の小町のイメージ
(「かわいいフリー素材集いらすとや」より)
小野小町は絶世の美女として七小町など数々の逸話があり、後世に能や浄瑠璃などの題材としても使われている女性です。
小町の出自は、系図集「尊卑分脈」によれば、小野一族である小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされています。
「小町」という名称は名前ではなくて、「町」という字が当てられる後宮に仕える女性だったのではないかと考えられています。
出羽国の郡司の小野一族の娘で、姉妹揃って宮仕えする際に、
姉は「小野町」と名付けられ、
妹である小町は「年若い方の“町”」という意味で「小野小町」と名付けられたという説があります。
「古今和歌集」歌人目録中の「出羽郡司娘」という記述から、
生誕地が現在の秋田県湯沢市小野と考えられ、
当時の日本の最果ての地の生まれという伝承が、「小野小町」という人物の神秘性を高めています。
(Wik参照)
σ(*^▽^*) アキタケンシュッシン♫
(。-`ω-)σ イマ、「ソレカンケーネー」ッテ、オモッタロー…
神社入口の通りを挟んだ向かいにある案内板
村檜神社参道入口の東には、村内の重要な場所である「村檜神社」の社前に丁重に葬られたという「小野小町の墓」があります。
(「大慈寺境内案内板」より)
案内板の先には、庭園の東屋のような建物があります。
それが、きれいに整備され、大切に保存されている「小野小町のお墓」です。
小町が晩年過ごした地の伝承や、小町のお墓は全国に点在していて、どの地の伝承も本物である説得力を持って伝えられています。
この地の伝承では、「小野寺山大慈寺」で修行した「慈覚大師円仁」と同じ遣唐船に、「小野篁」が乗船していたことが根拠となっています。
大慈寺御本尊の薬師如来に病気平癒を祈願した小野小町の黒髪が、やがて小野寺のイグサとなり、そのイグサを用いた畳の家では、必ず子宝に恵まれると云われています。
(「大慈寺境内案内板」より)
※写真は令和三年(2021)六月十七日に撮影したものです。