義経を追って源有綱と常盤御前「有綱神社」 | こにの神社参詣記

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各地に鎮まり給う八百万の神さまを
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(Google マップにも投稿しています。)

有綱神社(ありつなじんじゃ)

☆☆☆

御祭神 有綱大明神

鎮座地 栃木県佐野市仙波町2823

 

旧葛生町大釜地区の大釜公民館奥の斜面に「源有綱」が祀られています。

神社前の県道283仙波葛生線を北上して行くと、約1km先の山中に源義経の母、常盤御前の「常盤五輪塔」があります。

 

公民館前には石碑や石祠、庚申塔がわずかながら並んでいます。

近くに民家の廃屋などもあり、著しい人口減少か人口流出に晒されている地域なのかも知れません。

 

義経は源氏の武将として大きな功績を残しました。

あまりの活躍などから、親兄弟に不審が生まれ、兄の源頼朝に追われる身となってしまいました。

 

母の常盤御前は、源氏の統領であった源義朝の愛妾となりますが、義朝の死後、苦難な道をあゆみ、藤原長成と結婚しました。

 

境内隅の草藪に隠れるように置かれた、恐らく庚申塔と青面金剛像

 

常盤御前は、兄頼朝に追われ奥州に落ちのびた義経を追って、夫長成と娘婿である有綱を連れて三人で奥州への旅にでます。

当時は、奥州への裏道でもあった出流路を通る道を選び、人目を避けるために大釜の道を進みました。

 

鳥居横に並ぶ石祠と庚申塔

 

道中は険しく、足元も悪く、荷を運んできた馬(白馬)は足を滑らせ、沢に落ち死んでしまい、荷物も失くしてしまいました。

 

馬に頼っていた三人は力を落とし、夫長成も常盤御前も体は弱り、大釜の人たちにお世話になりました。

 

鳥居と石段上に簡素な覆屋で保護された本殿

鳥居の塗装はまだ新しく、石祠も比較的新しいものです。

また、社地の草刈りなど、人の手が入っている様子も見られます。

 

常盤御前は、最後まで「義経に会いたい、義経に会いたい‥」と言いながら、ついにこの地で息を引き取ってしまったといいます。

 

常盤御前が亡くなってから、家来の有綱は一人奥州に向かいましたが、風の便りに途中で亡くなったといわれています。

 

本殿

大釜の人たちは、この出来事を悲しみ、五輪塔を二基建てて供養し、家来の有綱と白馬のために有綱大明神を建て、白馬の彫刻を御神体として祀りました。

 

今日でも大釜の地には、常盤御前が一時過ごした際の「お花畑」「殿畑」「馬場」といった地名が残されています。

 

常盤御前は、なぜこのような山道を通ったのか‥

義経の父源義朝は下野の国の役人をしていたこともあり、この地のことも知っていたと考えられます。

 

本殿前で、小さな狛犬さんが一体だけで守護しています。

かむやしろを守る狛犬さんが、この地を守る地域の方の姿と重なり、時の流れのもの悲しさが伝わって来るようです。

常盤御前が、過去にこの地を訪れた時、病気になった子どもの看病の際に、土地の者の紹介で牧の不動様に祈願し、子どもは回復しました。

 

常盤御前は、子どもの回復と土地の者の紹介のお礼にと、茶釜をこの地に置いていかれたといいます。

その茶釜は今でも大切にされています。

(「常盤御前の愛と涙の人生」及び「佐野の民話集」参照)

 

神社周囲の集落の様子

 

※写真は令和三年(2021)四月十五日に撮影したものです。

 

 

義経伝説に関連して、群馬県前橋市の「観民稲荷神社」には、静御前の鏡一面が、神宝として伝わっています。