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尾崎喜八の文学と想い出

詩人・尾崎喜八()のニュース文学と想い出について、娘の尾崎栄子がつづります。他に、尾崎喜八についてのニュースや記事なども、随時、ご紹介していきたいと願っています。近い将来、尾崎喜八のデジタル文学館に合併された統一サイトとなる予定です。ご期待ください。

友人から早春に咲く椿、ワビスケの蕾をつけた短い枝をいただいた。蕾の一つは開きかけ、花びらの色は黒みがかった深い赤だった。  玄侘助(くろわびすけ)と言うらしい
    さてどんな花活けに活けようかしら、この花によく会うのは、と取り出したのは何時も蝋梅忌の時に蝋梅の短い枝を活けて、尾崎の肖像写真の横に添えてあげるあの花活け、「波之さん」の花瓶と呼んで父が大事にしていたものだった。
波之さんご夫妻の作、波之さんの句が書かれていて、色良く形良く焼きあげて恵贈してくださったものだ。
坂本七郎(俳号  波之)さん    この方は父より14・5歳年下で、はじめは詩を書き、同人誌の編集・発行などをしていらしたそうで、その頃からのお付き合いだとおもう。私の記憶でも、京橋の家の頃から出入りしていらして、父の楽しい友人だと思っていた方だった。

坂本七郎さんはその後、詩から俳句に傾斜され俳誌「かびれ」の誌友になり、以後 父は波之さんと呼んで親しんでいた。若い時には他の世界と思って紙面で他人の作を眺めるにとどまっていた俳句の世界に父を引き入れたのは、この何とも好きであった波之さんのアプローチだったろうと思っている。
     波之さんの紹介はここまでにします。
 でも、これは尾崎の俳句の事に関して語るのには、知ってて欲しいことだと思うので、記しておきます。

 私はあまり詳しくは知らないのですが、俳句をつくり、楽しむのには、ひとりで時に応じて作る他に、何名かで吟行したり、連衆と共に巻く歌仙(連句)がある、と当時教えられました。 

 波之さんを仲立ちに俳句誌「かびれ」を主宰されていた大竹孤悠師との(日立在)付き合いが始まり、共に吟行をしたり歌仙を巻いたりして、一時は俳句の世界に興味を持っていたようでした。 
   それは尾崎が50歳ごろからの事です。