昭和27年六十歳の秋、富士見での生活と別れを告げ、東京世田谷の玉川上野毛に移るのだが、「その後考えるところがあって」と尾崎は言っているが、富士見時代に書いた句帳を、庭の山茱萸(さんしゅゆ)の木の下で焼いてしまうのだ。
母(實子)が頼んで残してもらった五十句のみが詩文集『夕映えに立ちて』(創文社)のなか「よみがえった句」に書かれている。
父の没後母と共に遺品の中から、句帖の下書きなどを見つけ出して、ほとんどを救い出して「尾崎喜八資料・第十五号」にまとめて載せることができた。
これらの句は、後に伊藤海彦さんが撰んだ句二十篇に、版画家の山室眞ニさんが木版画を手刷りした私家本「行人句抄」(限定33部、昭和六十二年二月四日刊行)としてまとめられました。
伊藤さんが亡くなった後にも山室さんのお力で、薯版「行人句抄2」(限定4部・私家版・2001年)が刊行されました。
両方ともに、身内に配るだけのささやかな出版ですが、本当に心こもった宝石のような句集です。
この、他人様が選び出してくださった二十六句と、伊藤海彦さんの「行人句抄」に添えて という後書きを写して、富士見高原の自然の中から芽生えた詩人尾崎喜八の俳句を味わって下さい。
甲斐信濃谷の一重や春の鵯 春蘭を掘るや雨雲さがり来る
炭橇につけ来しあけび芽の未だ 雪沓を仕舞ふと干せば蝶の附く
囀や雨意しきりなる谷の村 思ふかなまだきの奧の花うばら
花杏千曲の風がなみなみと 種袋絵が美しと妻は捨てず
をりをりの汽笛や霧の向山 唐松の黄葉崩れんばかりなる
白樺の小割り作るや日雀来る 一位なほ紅二三点冬に入る
朝朝の霧晴れて行くあをじ哉 音のして霰うれしき田舎かな
冬木立赤げらの赤奢りとも 雪晴れや刻めるごとき野鼠の道
初空や雲に散りこむひわあとり 餅花に雪こそ匂へ駒ケ嶽
遠きもの春てふ文字をいろいろに 別れとは額髪の雪払ふこと
るり鳴くや雨後匂ひ立つ大穂高 啄木鳥やいつひろがりて鱗雲
春哀れ遠ほ浮びをる槍穂高 梅雨濛々山ぼうしかや花の白
鳥頭更科升麻どっと活け (とりかぶと さらしなしょうま どっと活け)