浜田さんの美ヶ原紀行
平成十二年夏、長野県霧ヶ峰から美ヶ原を目指した。
「登りついて不意に開けた」の美ヶ原平原のあちらこちらに喜八が居た。詩集から飛び出してきた懐かしい詩句たちに満たされながら、「美しの塔」に嵌め込まれた詩のプレート(碑文は自書でカタカナ書き。題名は「美ヶ原」)に見入った。
登りついて不意に開けた眼前の風景に
しばらくは世界の天井が抜けたかと思う。
やがて一歩を踏みこんで岩にまたがりながら、
この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
この風景の情緒はただ身にしみるように本原的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
秋が雲の砲煙をどんどん上げて、
空は青と白との眼もさめるだんだら。
物見石の準平原から和田峠のほうへ
一羽の鷲が流れ矢のように落ちて行った。
その時、にわかに真っ黒な雲が現れ、「世界の天井」から、土砂降りの雨が落ちてきた。家内を急がせて山本小屋ににげこんだ。
遠く、近く、鳴り止まぬ雷鳴が小屋を覆う。地上で聞くのとは別物の凄まじい音に身を固くする。
(ここで浜田さんご夫妻は霧ヶ峰方面行き、諏訪行きのバスも時間切れ、小屋も満員でとまれないと言うピンチのため、ヒッチコックしかないと決心され、雷雨の中へ飛び出したと言う。何台もの車を見送ったあと、一台の車が止まってくれた。私たち二人は喜八が見た鷲の様に高原を一直線に落ちて行った。と記していられる
(榮子 記入)
浜田さんの安曇野紀行
日本のグリンデルワルト松本に朝が来た。駅前の東急ホテルの結露した窓を開けると、神々しいまでに北アルプス山顚が朝日に輝く。「よし」と気合を入れ、ホテルの入口の壁面を飾る尾崎喜八の詩碑「松本の春の朝」に挨拶して、松本駅に向った。
大糸線穂高駅で列車を捨てた。個性あふれる美術館が北アルプス山麓に散らばっていた。
はやる気持ちを鎮めなければ碌山美術館は上の空になりそうなので、穂高東中学校の尾崎喜八詩碑を先に選んだ。待ちわびた喜八とのご対面であった。
玄関前右手の芝生の上に、期待に違わず、美しい詩碑が待っていた。周りは綺麗に手入れされ、詩碑を大切にする生徒たちの気持ちが伝わってくる。
田舎のモーツァルト
中学の音楽室でピアノが鳴っている。
生徒たちは、男も女も
両手を膝に、目をすえて、
きらめくような、流れるような、
音の造形に聴き入っている。
そとは秋晴れの安曇平、
青い常念と黄ばんだアカシア。
自然にも形成と傾聴のあるこの田舎で、
新任の若い女の先生がししとして
モーツァルトのみごとなロンドを弾いている。
建碑に至るには一編のドラマがあった。
この詩が、自分たちの学校を題材として作られたものであると発見したのは、校内誌「ほたか」の編集委員で、その発見に注目し、この音楽室に学んだ同窓生の賛意と協力を得て、昭和六十年に詩碑が完成した。
ブロンズのプレートに詩人の直筆を拡大した十行が刻まれている。その銅板が穂高町産の白御影石に嵌め込まれ、詩に詠われている青い常念岳と対峙する。
秋の一日、安曇平の音楽室の光景は、詩人の魂に深く刻まれ、「田舎のモーツァルト」の一編に結晶した。作詩の経緯について作者は次のように述べている。作品の理解を深めるために引く。