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尾崎喜八の文学と想い出

詩人・尾崎喜八()のニュース文学と想い出について、娘の尾崎栄子がつづります。他に、尾崎喜八についてのニュースや記事なども、随時、ご紹介していきたいと願っています。近い将来、尾崎喜八のデジタル文学館に合併された統一サイトとなる予定です。ご期待ください。

浜田さんの安曇野紀行続き

「元来モーツァルトの音楽は青年たると老年たるとを問わず、貴賎の別なく、実に万人を喜ばせ、万人の愛に値いし、また作曲家自身それを期待してもいた芸術である。詩の霊感から言えば、それは地方の或る田舎の中学校と、その音楽室でピアノを弾く新任の若い女教師と、それに聴き入っている純真でけなげな男女の生徒と、おりからの秋とその光と、周囲をかこむ峻厳な山々のたたずまいとから触発されたものではあるが、そういうモーツァルトこそ私には真のモーツァルト、しょうすうの貴人や知識人の専有物でない、万人共有の宝であるモーツァルトという気がする。そして田舎、ああ、私の郷愁の理想世界の姿であるこの田舎というもの。これこそ彼の芸術の本当のすみかでなければならなかった。そして願わくば私の詩も、またそのようでありたいと思っている。」(「詩集田舎のモーツァルト」)
  作品そのもの、作品への作者の思い、文学碑の姿や置かれた環境、建碑に至るドラマ、総てが訪れる者を感動させる文学碑の傑作であった。
   詩碑のすぐ傍には萩原碌山の彫刻「抗夫」が居た。さりげなくニ基の名作が置かれている贅沢さに驚く。
   「黄ばんだアカシア」は緑の風に揺れる銀杏の並木に変わって、赤い屋根の校舎を取り巻いている。
    詩といい彫刻といい、一級品に囲まれて青春を送る生徒たちの幸せそうな顔が浮かび、立ち去り難かった。
   夏休み中の校舎二は、元気な生徒の姿はなく、ピアノの音も響かず、静寂だけが居た。

   誰しも一度は尾崎喜八に出会い、感動する。それは作者の提示する詩が、「現代詩の世界において、自由詩形にもっとも安定感をあたえた」 「素人の歌を独自の芸術にまで鍛錬し、詩の領域を広く拡張した」(前掲・河盛好蔵)と評されることに由来すると思われる。
   筆者も青春時代に喜八の詩に出会い、惹かれた。だが、今にして思えば理解が浅かった。誰でも書けそうな詩が並んで居たが、「単に自然を観照するだけではなく、自然の中に没入して、自然とともに生き、自然との親密な対話を通して、自然との調和、を希求している」(前掲・河盛好蔵)と評される尾崎喜八を理解するには時間と汗が必要であった。
    社会の荒波にもまれ、それなりの汗をかいた後で、今一度、詩集を開くと、作者の紡いだ詩句の一つ一つが山顚で飲む甘露の味わいを持つことに気が付く。
    独自の境地を持つ喜八の山河はとてつもなく広く、高い。足跡を探して旅を続ける中でほんの少しだけ尾崎喜八に近づいた気がする。

    尾崎喜八の文学碑は、記した以外では以下の六基を数える(除・校歌碑)。山には無縁の筆者にとっては全碑の踏破はすこぶる難題である。
    群馬・利根郡みなかみ町水上の森・詩碑「ふるさと」
    長野・南佐久群川上村御所平公民館前・詩碑「御所平」   このニ基は既訪問。
    群馬・多野郡神流町御荷鉾山・文学碑「神流川紀行」より
    群馬・多野郡神流町万場・歌碑
    長野・木曽郡開田村木曽馬牧場・句碑
    長野・上伊那郡長谷村長谷小学校・詩碑

以上五基は浜田建治さんが「神奈川の文学碑」というご著書の中から、お許しをいただいてここに載せさせていただきました。